どんなに時間をかけて作った動画も、広告も、文章も、ほんの少しでも「つまんない」と思われたら、消費者は離れていくシビアな時代。

そこでキーになるのは、「冒頭1秒でつかむ」こと。

本記事では、視聴者が誰も知らない完全な「市井の人」を主役にしているのに「どハマり度No.1バラエティ」、『家、ついて行ってイイですか?』仕掛け人でありストーリーテリングの名手テレビ東京制作局ディレクターの高橋弘樹氏が、新刊『1秒でつかむ』の内容をベースに「できる限り多くの人を冒頭でつかむ魔法のスキル」をお伝えする(構成:編集部/今野良介)。

「あの子、俺と別れたあと、どうしてるかなあ……」

テレ東のいいところであり狂ってるところですが、社員がマジでなんでもやります。

普段はバラエティやドキュメント・バラエティを作っているぼくですが、ドラマの監督をすることもあります。

初めてドラマを監督したのは、『文豪の食彩』という単発ドラマでした。BSジャパンで放送され、好評だったので第2弾も作られました。

これは、ぼくがとても好きだった雑誌『荷風!』の編集長・壬生篤さんによる同名タイトルのマンガ原作があり、文豪たちが愛した名店をめぐり、彼らがどういう気持ちでそれを食べたのかを探り、彼らの作品も味わおうというドラマでした。

その撮影のため、文豪が訪れた名店をたくさん、「取材」という名目のもと、ほぼ趣味で回りまくりました。

で、結論なんですが、正直、味は……。

おいしいですよ? おいしいんです。

ただ、「料理の味」ただその一点をとれば、もっとおいしい店がたくさんあるのは事実です。これらの店にある真の価値は、「味」単体では評価できないのです。

この取材を通してあらためて思ったのは、「ごはんは、舌ではなく脳で味わう」ということ。

人は、「味」だけでなく、そのメシ(=シーン)に付随する「ストーリー」を味わうのだということです。

これらの名店は、たしかに普通にはおいしいのですが、やはり「芥川龍之介や太宰治、永井荷風、谷崎潤一郎といった文豪たちが通った」というストーリー、そして彼らがどういう心境でそれを食べたかというストーリーを一緒に味わうことで、真の力を発揮するのです。

記憶は最高のスパイスです

つまり、「シーン」と「ストーリー」を結びつけることができるかどうかが勝負です。

この『文豪の食彩』においては、文豪たちが食べたというストーリーはこちらが描いて、その「店」の魅力を描いているのですが、それとはまた別次元の「シーン」と「ストーリー」の結びつきが存在します。

それは、「シーン」を、視聴者が勝手に自分の「ストーリー」と結びつけて味わうという作用です。

つまり、そのシーンを見て「何を思い出すか」ということです。

これは、2つあります。

[1]直接的記憶
[2]間接的類推

1つは、直接的な記憶です。

たとえば、団塊世代の方が、木更津の「ホテル三日月」がとりあげられた番組を見て、「あ~、家族と行ったなぁ」とか、「別れた恋人と行ったなあ」とか思う、そういう記憶です。

これは、その先に「お父さん元気かなあ」とか、「俺と別れたあとどうしてるかな?」などの心理作用を生みます。

事実、旅番組で房総半島や箱根など人口が多い東京近郊は、ベースとして持っている視聴率が高いと言われます。

これは、多くの人が経験したことがある事柄に関連づけて描く、あるいはその事柄そのものを題材にする、という手法です。

「懐かしさ」のマーケティング世代も性別も越える魔法の戦略あなたは、何を「懐かしい」と思いますか?

 

関連づける事柄は、箱根や吉野家のように「モノ」や「場所」だけではなく、「フラれた」など、共通体験の多そうな「行為」にひも付けてもいいのです。

たとえば、チョコレートをPRする際に、

フラれて泣いた夜は、
もっと「苦い」を噛み締めればいい。
ビターすぎてつらい、大人の◯◯チョコレート

のようにストーリを開始すれば、「フラれた」という多くの人が持つ共通体験を思い出させることができます。

しかし、それだけでは、取材対象や表現の幅が狭すぎますし、関連づけという手法の場合、毎回そんなうまく関連が得られるわけではありません。

そこで、もう1つ武器となるのが、「[2]間接的類推」を狙う手法です。

これは、シーンから想像される光景が、必ずしも視聴者の経験にダイレクトに結びついていなくてもいいけれど、類推される経験をうっすら思い出させる効果のことです。

たとえば、ぼくは『ダイエットJAPAN』という、海外からおデブちゃんたちを2ヵ月間日本に連れてきて、和食だけで生活し、痩せてもらうという番組も作っているのですが、この番組の冒頭で、空港で、おデブちゃんが泣くシーンを放送しました。

「空港でおデブちゃんが泣く」を見た経験は、ほとんどの方はないと思います。

しかし、人間には、肉食獣に捕食されていた数百万年の経験から、つねづね「結果にいたる過程を瞬時に推測する」という本能が備わっています。この人間の推測本能は半端ではありません。

人間の脳は、まったく同じ経験でなくても、少し抽象化して同じような経験がなかったか探してくれます

この場合なら、おデブちゃんが泣いているという直接的な現象から、「空港で泣く」という似た経験がないか、脳が記憶を検索してくれます。すると、たとえば「故郷から帰る際、大切な家族と空港で別れて悲しかった」という自分の経験を類推する。感情を与えます。

その、想起される感情に訴えかける手法が、間接的類推です。

もう1つ例をあげると、『吉木りさに怒られたい』という、グラビアアイドルの吉木りささんが、ひたすらテレビカメラに向かって主観映像でブチ切れまくるだけ、という番組をつくったこともありました。

吉木さんに毎回本気でブチ切れられますが、その怒りは、いつも愛情の裏返しであることがわかります。

この関係、一見恋人を装ってますが、最も原体験として近いのは「母」だと思います。毎回、真剣に繰り出される無償の愛。

大人になると怒られなくなります。しかし本当は誰かに怒って欲しい、自分のダメなところをちゃんと指摘して欲しい。それも、愛情を持って。

そんな潜在的なニーズの裏には、大人になって離れなければならない「母」への憧憬が潜んでいる気がしたのです。

ことほどさように、どういうアイテムや場面を使って、どんな記憶を心に描かせるか。

それを考えることは、冒頭で興味をもってもらう大きな武器となります。