どんなに時間をかけて作った動画も、広告も、文章も、ほんの少しでも「つまんない」と思われたら、消費者は離れていくシビアな時代。

そこでキーになるのは、「冒頭1秒でつかむ」こと。

本記事では、視聴者が誰も知らない完全な「市井の人」を主役にしているのに「どハマり度No.1バラエティ」、『家、ついて行ってイイですか?』仕掛け人でありストーリーテリングの名手テレビ東京制作局ディレクターの高橋弘樹氏が、発売即増刷し、「異色すぎるビジネス書」として話題の新刊『1秒でつかむ』の内容をベースに「冒頭でつかむ魔法のスキル」をお伝えする(構成:編集部/今野良介)。

クソつまらなかった爆睡必至の映画が……

これから、まったく興味がないものを一瞬にして「興味を持つ状態」にする、「革命」を起こす手法をお伝えします。

まず、人生で一番つまらなかった映画に出会った話をさせてください。

いえ、なにもその映画をけなそうというわけではないのです。実は、このクソつまらなかった爆睡必至の映画が、いまではぼくの人生の中で「最高に素晴らしい映画」の1つにランクインしている過程についてです。クソつまらなかったのに、です。

その映画の名は、『大いなる沈黙へ』

これは、グランド・シャルトルーズという男子修道院に、初めてカメラが入ったドキュメンタリー映画です。この修道院は、カトリック教会の中でも厳しい戒律で知られています。俗世間と隔絶された、フランスはアルプス山脈の厳しい自然の中での自給自足、毎日夜19時30分には就寝して、夜23時30分には起床。0時15分から3時まで祈祷を捧げ就寝。そして、また朝6時30分には起きて礼拝とミサ……。

これだけで、ぼくのような堕落しきった一般人から見たらどうかしてるストイックな暮らしですが、これはまだ序の口。

そうした礼拝や農作業などの労働以外の時間も、わらのベッドとストーブ、そして小さなブリキの小箱に収まる所持品だけがある小さな部屋で祈りを捧げるなどして生活。会話は原則として許されず、わずかに日曜日の午後にもうけられた散歩の時間にのみ許されるといった、ウルトラ・ドストイックな修道院です。

そんな修道院に、世界で初めてカメラが入ったのです。しかも、監督のフィリップ・グレーニングは、1984年に取材を申し込むも「まだ早い」と断られる。そして、16年後「準備が整った」と修道院から連絡があったというのです。

どうです? 超おもしろそうだと思いませんか?
もう、これは観るしかない。そう思い、買ったんです、DVDを。
お値段なんと、8553円。

8553円ですよ?

普通の映画DVDなら最新作を2本、準新作なら、下手したら4本は買える値段です。しかも尺は正味169分。編集に5年かけたと言います。さぞ、「撮れ高」があったのでしょう。期待は高まるばかりです。

妻が実家に帰って留守のとある日曜日、はやる気持ちを抑え、満を持しての再生です。

結果……、

爆睡です。

いやいや、ちょっと待ってくれ。8553円ですから。
巻き戻して、記憶が途切れたところから再生しました。しかし……、

また、爆睡です。

いやいやいや、8553円ですから……。

睡魔と戦い、幾度も巻き戻しながら、最後まで観終わりました。ここまで退屈と格闘しながら観た映画は、後にも先にも、この映画しかありません。

もう、怒りがおさまりませんでした。
いったい、この映画はなんだったんだ。
5年編集? いったい、5年何してたんだよ。2週間でできるわ、こんな編集!
どういうことなんだ、誰か教えてくれ。
ネットでひたすら口コミをみましたが、納得のいく口コミは全然ありませんでした。
1週間、頭から離れなかったんです。
1週間、頭から離れないほどの「圧倒的退屈」。
それは、衝撃的な体験です。

しかし、いま思えば、これこそが、監督の思うツボだったのかもしれません。1週間ほどたったある時、ふと「ストン」と、すべてが腑に落ちる瞬間がきたのです。

「そうか、そうだったのか!」

その瞬間、身の毛がよだつような思いをしたのを覚えています。
1つだけ「目線」を発見することで、この映画が、いままでに体験したことのない、「唯一無二の映画」だったことに気づかされたのです。
この映画はおそらく、

「圧倒的退屈を、身をもって体験する映画」だったのです。

祈りしか許されない。会話も許されない。静寂の中、一生祈りを捧げ続ける人生。それはどんな生活なのか。おそらく、都会に暮らして刺激に囲まれた我々にしたら、「圧倒的に退屈」な生活なはず。では、どうして修道士たちは、世の中から隔絶された修道院にこもり、一生をそんな「圧倒的に退屈な生活」の中で生きようと考えたのか。

彼らの考えの深淵には迫れずとも、その水面くらいにはたどり着くには、どんな映像作品にしたらよいのだろうか。
……そうだ。「圧倒的退屈」を味わわせる映画にすればいい。
すべては、そこに向かって編集すればいいのです。

監督は、おそらくそれを5年考え続けたに違いない。編集に5年かかったのも納得です。修道士がただ、こちらをじっと何秒も見つめる謎のカットも、ひょっとしたらこのためかもしれない。常識にとらわれた「構造」を発見しようとしていたから、この映画は理解できなかったけれど、この「圧倒的退屈」を味わわせるための映画であるという「目線」を発見できてからは、すべてを理解できました。

これは、まさに革命です。「人生最悪の映画」から、「人生最高の映画」の1つに、一瞬にして自分の中の価値の転換が起きました。

映像作品としても革命的です。3D、4Dを圧倒的に超えた5Dともいうべき、圧倒的体感型の映画です。

ここまでくると、8553円という値段も、もはや演出だったとさえ言えます。これが2000円だったら、そんなに悔しくないと思います。だから1週間も考えないし、それゆえこの「目線」を発見できなかった。

惜しむらくは、この映画を映画館で観られなかったことです。DVDは、自分のペースでいつでも離脱することができてしまいますが、映画館はそうはいかない。絶望的に閉鎖された空間で、永遠にも感じられる169分を体験する。それこそが、アルプスの山深くに隔絶され、基本的には生涯をそこで過ごし、自由に外出などできない修道院生活に、より近かったでしょう。

ふざけて言ってるわけではありません。
この感動はぜひ味わってほしいと、心の底から思います。

このように、「目線」1つですべてのコンテンツは、持つ価値が変わることがあります。その意味づけ、解釈1つで、実際に中身の価値も変わってきます。また、視聴者が冒頭で持つ「興味」を、ぐっとひきあげることができます。

しかし、この映画に関しては、とても悩ましい自己矛盾を内在していました。
「圧倒的に退屈してもらうこと」(興味を持たせないこと)が目標なので、冒頭でその目的を明示するわけにもいかないのです。意図が明示され、興味を持たれては、作戦失敗ですから。また、口コミですぐに広がる時代ですから、映画の結論として、監督自らが意味を開陳することもできなかったはずです。監督は、さぞ悩んだのではないでしょうか。

ただ、この作品は、そうした内在的な矛盾を抱えていた上に、どちらかというと芸術に近い映画でしたので、これでよいと思います。しかし、「エンターテインメント」を標榜するテレビは、そうも言っていられません。ネットの記事も、会社でのプレゼン資料もそうです。

「感じてくれ! 俺の魂の叫びを、俺は黙っているけど感じてくれ!1週間考えてくれ!」は、通用しません。

なので、コンテンツの冒頭に、一瞬で見る「目線」をつける技術が必要です。

茨城で壮絶不倫

『家、ついて行ってイイですか?』で、衝撃的なVTRに出くわしたことがありました。

ここから先は従来の常識が崩壊する可能性があります。
注意してお読みください。

それは茨城に住む75歳のおじいちゃんの話でした。フリーマーケットで出会ったそのおじいちゃんは、「待たせている人がいる」ということでした。

その待ち人のところへ行くと、なんとその女性は不倫相手。御年85歳。

そこからの赤裸々すぎる半生の告白が、衝撃的だったのです。

お互い妻子がいながら、40年もの間不倫関係にあること。
それは、お互いの家族も知っているし、あけっぴろげにしていること。
いまだに、よくモーテルに行ってること。
出会ってすぐの時も、気づいたら山奥のモーテルに行ってたこと。

このあけすけな会話は、数々の芸能人が、そういえばなぜ「文春砲」で引退しなければならなかったのかと、現代を生きる我々の価値観をゆさぶるものでした。

しかし、そこには、しっかり理由がありました。

かつて、自由恋愛ではなく「お見合い」が主流だった時代。どうしても、決められた配偶者とうまくいかなかったというのです。この茨城の農村に残されていて、まもなく静かに消えようとしている、歴史には残らないリアルな「裏昭和」。

これをオンエアするかどうか、ぼくは迷いました。

オンエアするにしても、下手をすると、このVTRの魅力が伝わらなかったり誤解されるのではないかと思いました。もちろん、現代社会において不倫は容認されるものではないし、このVTRは決して不倫の価値判断をするものではないけれども、下手をすると、そうとられてしまいかねない。そう捉えられては、魅力がちゃんと伝わらない。つまり、「興味を持ってもらえない」と思ったのです。

このVTRは、歴史には描かれない、リアルな庶民の生活が描かれていました。そして、その生活は、よく描かれるような「昭和賛美」だけでは理解できないはずだし、かといって、そんな時代が深刻な暗さをまとっていたわけではないということも伝えるVTRでした。

ちょうど週刊誌の報道などで、「不倫」という言葉すべてが絶対悪というバッシングが吹き荒れている頃でした。

もちろん、このVTRは、現代社会においての「不倫」に価値判断をするものではないし、番組として是認するわけではない。

しかし、ぼくは、

・
すべての行為には「理由」があり、その理由は当事者しかうかがい知れないものもある
・
その水面下の理由に思考を至らせず、水面上に出てきた行為という「結果」だけを絶対的な判断基準として価値判断をしていくという風潮は、「不倫」問題に関してはともかく、もっと深刻な問題に直面した時に、相当危険である
・
「現在」という時代に立脚した「正義」で、「過去」という時代に立脚していた「行為」を断罪することは危険である

そう考えを相対化させるところが、このVTRの魅力の1つかなと思いました。

しかし、これは、先ほどの、ウルトラ・ドストイック修道院のテーマ並にわかりにくいテーマです。

そこでぼくは、放送の冒頭に、

という「但し書き」を入れることにしました。