雇用者側にも
欠けている「緊張感」

 食べ物のもととなる肉も魚も鶏の卵も、全て彼らの命を捧げてできたものだ。食べ物が命であること、それらを食として提供するのに生産者がどれほどの苦心を重ねているかということを胎(はら)の底から感じ、理解していれば、そもそもそのような行為はできないだろう。

 食べ物を大事にするということは、生き物の命や生産者への敬意を持つということである。ただマニュアルで「禁止です」と言っても、言われる側が心から納得していなければ、面白がってやるだろう。

 食べ物を“おもちゃ”にして遊ぶ行為は、しばしば乳幼児で見られる。「成年」の定義が変わり、18歳から成人とみなされることになったが、実際には18歳前後でも“幼児並み”の精神状態の人が存在するということだろう。

 アルバイト側の責任も大きいが、食べ物は一歩間違えると、食中毒を引き起こし命に関わる大問題につながるという危機意識を、雇用者側が持っていたかどうかも疑問である。

 アルバイトだけに調理を任せたり、重要な作業を任せたりというのは、雇用者側の人間も、食が命から生まれ、われわれの命に関わるという“緊張感”を持っていない証拠ともいえる。

 かつて筆者が勤めていた食品メーカーでは、2000年代に発生した食中毒事件以来、食品の製造工場での品質管理は、製薬工場並みのレベルが求められるようになった。何しろ一歩間違えたら大勢の人の命を奪うことになるのだ。

 企業としても、長年かけて積み上げたブランドや信頼を一瞬にして失う。売り上げも、売り場(商品の棚)も。良心的な食品製造業者は、それだけの緊張感とプライドと責任感を持って仕事に当たっている。