「子どもを思い通りに育てられない……」
「いつも、子どもにイライラしてしまう……」
「実は子どもが好きになれなくて、早く自立してほしい……」
「つい他の子と比較して、焦ってしまう……」

そんな、子育て中のお母さんお父さんの悩みが幸せに変わる「29の言葉」を集めた新刊『子どもが幸せになることば』が、発売前から注目を集めています。

著者は、共働きで4人の子を育てる医師・臨床心理士で、20年間、5000回以上の面接を通して子育ての悩みに寄り添い続けてきた田中茂樹氏。親が「つい、言ってしまいがちな小言」を「子どもを信じることば」に変換すると、親も子もラクになれるという、心理学に基づいた「言葉がけ」の育児書です。

本記事では、子どもが食べ物をこぼしたり、おねしょをしてしまったときに、親が言ってしまいがちな言葉の「負の効果」と、その代案となる言葉を紹介していきます。(構成:編集部/今野良介)

子どもの失敗は「わざと」じゃない。だからこそ……

食事のとき、幼い子は、食べ物をよくこぼしますよね。コップやスープに手が当たって、ひっくり返したりします。

4歳頃になると、注意力が整ってくるので、ひっくり返す回数はぐっと減ってきますが、成長には大きなバラつきがありますので、5、6歳になってもこぼす子もいます。何かに気を取られたりすると、とくにそうなりがちです。

子どもが欲しいと思ったものに手を伸ばすとき、その途中に他のものがあるということが、手の動きに組み込まれていません。まだ、「手が賢くなっていない」のです。

テーブルの端っこギリギリのところにコップを置いたり、手やひじが当たりそうなところにお椀を置いても気にしません。そういう位置にものがあるとこぼしやすいという「身体の知識」が、まだないのです。

もう少し年齢が上がり小学生になるころには、知識も増えて、周囲に注意が行き届くようになってきます。しかし、それまでは、いくら注意されても叱られても、難しいのです。

「わざとやらない」とか「不注意」なのではなく「できない」のです。

大人がこぼしたりひっくり返したりしないのは、意識的に注意しているからではなく、意識しなくても自動的に注意が働いているからです。

子どもの失敗は、「わざと」ではありません。なので、「だからこぼすって言ったでしょ!」のように未熟さを叱ることは、役に立たないどころか、子どもの自尊心をおとしめます。叱っても、利益はありません。

そのような場所にコップやお椀を置いた親のミスだと割り切って、「大丈夫だよ。拭いとくね」と言って淡々と片づけるのが、いちばんいい対応方法です。

このような話をすると、次のような質問がいつも出されます。

 

「注意しなければ、こぼしてもいいと思ってしまいませんか? いつまでもひっくり返しませんか?」
「食べ物をこぼしても平気では、食べ物を粗末にする子になりませんか?」

 

でも、心配はいりません。

子どもは叱られなくても、褒められなくても、ちゃんとできるようになりたいと思っている生き物です。

こぼしたくないと思っているし、きちんと食べたいと思っています。そして、叱られなくても、こぼしたこと自体が、子どもにとっては残念なことなのです。

毎回叱っても、全然叱らなくても、どうせ、やがてひっくり返さなくなります。小言を言い続けると、子どもの自尊心や積極性を育てそこなうかもしれません。

育ちそこなった自尊心や積極性を回復するのは、大変です。食べることが好きでなくなってしまったら、その子はこの先の人生における喜びを大きく奪われることになります。

自尊心や積極性を回復するためにかかる費用は、こぼれたみそ汁を片づけるのにかかる費用や労力とはケタ違いになるということを、食卓での子どもの失敗に小言が言いたくなったときに、思い浮かべてください。

「食事は楽しいものだ」と思える子どもは幸せ。

 

おねしょも、同じ。

同じような子どもの失敗として、おねしょがあります。

おねしょをしたときに親がすべき対応は、先ほどと同じように「大丈夫だよ」とやさしく言って、騒がずに、何でもないように片づけてあげることです。子どもは、不注意で失敗したのではないのです。

「寝る前にお水飲みすぎたからよ!」とか「トイレに行ってから寝なさいって言ったのに!」などと責めることも、有害です。

子どもは、自分で排泄のタイミングを学んでいかねばなりません。寝る前に水を飲んだって、トイレに行かなくたって、そのうちにおねしょはしなくなります。くどくどと嫌なことを言わず、やさしく片づけてあげれば、それは子どもへの愛情を示すいいチャンスになります。禍を転じて福となせるのです。

子どもは、幼くても、親が愛情を示してくれたことを必ず覚えているものです。

といっても、「おねしょしたときに文句を言わずに片づけてくれたね」というように、言葉で出来事を思い出して語ることができるということではありません。

そうではなくて、出来事のイメージ、たとえば夜の寝室の光景や肌寒さやおしっこのついた衣服やシーツの感覚やにおいなど。そして、それに伴った気分や感情、たとえば親が世話してくれたときの態度や言葉がけから受けとった安堵感などとして、漠然と記憶されます。

それは、いつか子どもが大人になって、自分の子どもが同じようにおねしょをしたときに、無意識に蘇ってくるかもしれません。

冬の夜など、子どもがおねしょをすると、親は大変ですよね。寒い部屋でシーツを替えて、子どもを着替えさせねばなりません。でも、もし、そんな大変な状態なのに、なぜか妙に温かい幸せな気分になったとすれば、それはもしかしたら、自分が子どものときに親から与えられた幸せな記憶が蘇ってきているのかもしれないのです。

家庭の中で子育てを中心的に担うのは、まだ、母親のほうが多いでしょう。でも、母親が疲れていて、やさしく接する余裕がないようなら、父親の出番です。

眠り込んでいた夜中に、子どもが「おしっこ出ちゃった」と、小さな声で言います。勇気を出して起き上がり、子どもを着替えさせて、バスタオルを応急処置で敷いて子どもを寝かせましょう。そのあと、シーツやパジャマ、パンツを、風呂場でぎゅっぎゅっと押し洗いしましょう。

ここで愛情を注いでおくことは、将来子どもが幸せになることへの、これ以上ないぐらいに有効な投資なのだと思って、その苦労の価値をかみしめながら、押し洗いしましょう。