そもそも、日本企業は中国で生き延びられるのか、という議論もある。「中国は人海戦術ができたからこそ進出の意味があった」と振り返るのは、90年代に進出した工場で奮闘してきた元工場長だ。今は自動機で製品をつくる時代だが、「自動機を入れることは中国資本の工場でも生産できることを意味し、その瞬間に日本企業の価値がなくなる」(スマートフォンの精密部品メーカーの駐在員)というジレンマを抱える。

 生き延びられるのは、「中国にない技術を持っている日本企業だけ」ということになるが、「形ある完成品の生き残りは難しい」という声もある。その一方で、素材・化学業界が元気だ。産業機器の販売で上海に駐在する日本人は、「工程管理が難しい素材・化学業界はまだまだ行ける。材料の微妙な配合がカギを握るこの業界は、細やかさを得意とする日本の力が今なお生かされている」と力強い。

「中国投資」をまったく異なる目線で見ている日本人もいる。2000年初頭から上海で不動産投資を繰り返してきた日本人Kさんの嗅覚は鋭い。

「胡錦濤から習近平への政権交代が行われてから間もなくして、私は手持ちの不動産を売却しました。上海に流れる空気は明らかにそれまでのものとは異なることを感じたからです」

 これまで中国では政経分離が進められてきたが、時代は明らかにそれへの“逆行”が進んでいる。今後はコストや採算だけでなく、“空気感の見極め”も必要となりそうだ。

「上海ガーデンプラザ」は、この看板のように、外観さえ異なる超高級物件に建て替えられており、すでに中国人富裕層の購入者たちがそこで生活していた「上海ガーデンプラザ」は、この看板のように、外観さえ異なる超高級物件に建て替えられており、すでに中国人富裕層の購入者たちがそこで生活していた Photo by K.H.

日本食材も消えていく

 筆者は、十数年前に住んでいた古北新区のマンションを訪ねた。ここも日本人が多く住む住宅地の1つで、敷地内の小さなスーパーには日本からの輸入食材が豊富に取りそろえられていたものだった。だが今では、商品のほとんどは韓国食材に取って代わられていた。このとき、店で扱われていた日本ブランドは、江崎グリコの「ビスコ」だけだった。

 あらゆる商機を求めて、日本人が大挙してこの地を目指したのは、今は昔となってしまったようだ。振り返れば“日中ビジネスの黄金期”は、日本人と中国人が共に試行錯誤した古き良き時代だったが、それはあまりにも短い時間だった。

 日本と中国の間には友好ムードが到来しているというが、日中のビジネス文化を融合させ、かつ日本企業や日本人にも発展空間をもたらすことにつながるだろうか。消滅した“日本人村”を見たとき、これが“日中ビジネス史”における最終章なのか、はたまた、これから先に続く長い物語の始まりなのか、しばらく考え込んでしまった。

(ジャーナリスト、アジア・ビズ・フォーラム主宰 姫田小夏)