平成の終わりとともに、JRの車内販売が消えようとしている。振り返れば、昭和の終わりとともに消えていったのが食堂車。電車の高速化とともに、「鉄道と食の関係」はどんどんと変わっていくものなのだ。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
平成の終わりとともに
消え行く車内販売
平成の終わりとともに、JRから車内販売が消えようとしている。JR北海道、JR九州は3月15日をもって新幹線の車内販売を終了、JR四国の在来線特急列車とJR東日本の一部の新幹線や「草津」や「踊り子」などの特急列車でも車内販売を終了し、継続する列車においても販売品目を飲み物や菓子類に絞り込む。
車内販売の退潮は今に始まったことではない。東海道・山陽新幹線「こだま」や東北新幹線「なすの」、上越新幹線「たにがわ」など短距離利用中心の新幹線や、JR東海・JR西日本・JR九州の在来線特急列車では、既に車内販売の営業を終了している。
JR東日本は車内販売を終了・縮小する理由として「乗車前に弁当や飲み物を購入するようになり、利用が減少している」ことを挙げている。
振り返れば30年前、車内販売にその役割を譲り、消えようとしていたのが食堂車だ。一般向け食堂車の最後を飾った東海道・山陽新幹線「100系V編成」は改元直後の1989(平成元)年3月11日、東京~博多間を最短5時間47分で結ぶ「グランドひかり」専用車両としてデビューした。
JR西日本は当時、急速に勢力を増していた航空機や高速バスに居住性で対抗するため、「グランドひかり」の2階建て車両に展望レストランを設置した。しかし、長距離移動は航空機が主流となり、1992(平成4)年に時速270キロ運転を行う「のぞみ」がデビューすると新幹線利用者も「のぞみ」に移行し、需要は激減。時代の流れに逆らうことはできなかった。
在来線昼行列車の食堂車は既に国鉄時代に姿を消していたが、九州方面ブルートレインはJR発足から6年後の1993(平成5)年、新幹線の食堂車は2000(平成12)年に営業を終了。2016(平成28)年にはついにカシオペア、トワイライトエクスプレスなど北海道行き寝台特急の運行が終了し、食堂車を連結する列車は富裕層向けのクルーズトレインのみとなった(調理済みの料理を提供するレストラン列車は除く)。
平成とは食堂車から車内販売への移行が完了し、そして車内販売から駅販売への移行が決定的になった時代であった。