水戸・偕楽園の梅

 茨城県水戸市の偕楽園といえば、岡山の後楽園、金沢の兼六園とならぶ「日本三名園」の一つです。元水戸藩の藩地で、天保13年(1842年)に第九代藩主徳川斉昭によって造園されました。都市公園では世界第二位の広さを持つというを広大な園内には、100種、3000本の梅の木が植えられており、2月から3月末までの早春のこの時期、ちょうど見頃を迎えています。

 梅林で有名な偕楽園ですが、園には孟宗竹林などが茂る「陰」を表す空間と、千波湖を一望でき松の美しい芝生庭園と梅林の「陽」を表す空間とが共存しています。徳川斉昭が「陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づき、人間もまた屈伸して身体や心の調和を図り、修養につとめよ」と残した意図が見事に表現されています。

日本には数々の庭園が存在していますが、その中でなぜ偕楽園、岡山後楽園、金沢兼六園が「日本三名園」に決められたのか。はっきりとした記録は残っていませんが、明治の開国直後、西欧の要人が国内に訪れる機会に偕楽園のような広大で美しい庭園を紹介することで、日本の優れた伝統文化を示し、日本は文化的にも先進国であることをアピールする狙いがあったのではないかという説があります。そして、その「日本三名園」の選定に影響力を発揮したのが、最後の水戸藩主、徳川昭武であったとも言われています。

(撮影・文/クレセントエルデザイン)