宅間元死刑囚は大阪地裁の初公判で「命をもって償いたい」と述べたものの、何度も足を組み直したり、腰を浮かせて座り直したり、無表情のままだった。検察官の起訴状朗読を始めると「座ったらあかんのか」とぶっきらぼうに話すなど、ふてぶてしい態度に終始した。

 公判では一貫して謝罪はなく「償うつもりはない」と言い放った。心配する弁護団が「せめて傍聴席の遺族に頭を下げようと思ったことは」と問い掛けても「ないね」と鼻でせせら笑うかのように応じた。ほかにも「家が安定して頭が良い子は、こんなけったいなオッサンに殺される」などと遺族を挑発するような言葉を連ねた。

 地裁判決は動機について「離婚した元妻への恨みが社会全体に転化し、自分の苦しい思いを多くの人に分からせてやろう、大量殺人をやろう、小学生なら逃げ足も遅く大勢を殺せるだろう、名門小学校を襲ったほうが影響は大きい」などとする身勝手な供述内容をそのまま追認。03年8月28日、地裁は死刑を言い渡した。

 弁護側は控訴したが、宅間元死刑囚が自ら取り下げて確定。04年9月14日、死刑が執行された。

 東京・秋葉原の歩行者天国に加藤智大死刑囚(事件当時25)のトラックが突っ込んで通行人を相次いではね、さらにナイフで襲ったのは08(平成20)年6月8日正午すぎだった。7人が死亡、10人が重軽傷を負った。

 加藤死刑囚は宅間元死刑囚と違い、10年1月28日の初公判で「亡くなられた方、けがをされた方には申し訳ありませんでした」と謝罪を口にした。

 青森県でトップの進学校である青森高校を卒業後、短大に進学し、インターネット掲示板に「負け組」というキーワードを書き込んでいた加藤死刑囚。ネットでは一時、加藤死刑囚が派遣労働者であったことから「勝ち組に一矢報いた」「格差社会の英雄」などとする投稿もあったとされる。

 しかし、動機については「心のよりどころ」にしていた掲示板に1000回を超える書き込みをしていたが、その掲示板が荒らされ、抗議の表明手段として犯行に及んだと供述。自らの著書『解』で「自分の努力不足を棚に上げて『勝ち組』を逆恨みするその腐った根性は不快です」と記していた。

 15年2月2日、最高裁は「動機に酌量の余地は認められない」として一、二審の死刑判決を支持し、上告を棄却。17日付で死刑が確定した。