そして、選挙後には「分極的一党優位性」が完全に実現したことはいうまでもない。安倍首相にとっては、民進党のような政権担当経験があり、本来は現実的な議論ができる政党は面倒な存在だ。それを共産党がシロアリのように食い荒らしてくれると、強引にやりたい政策を通しやすくなる。
一方、共産党にとっては、安倍首相のような「保守色」がにじみ出る自民党が、安全保障や改憲で「極端」な物言いをしてくれるほうが、「なんでも反対」の共産党が目立つことになり、支持を集めやすくなりメリットがある。
さらにいえば、「分極的一党優位制」では、保守を支持する人も、左派を支持する人も、お互いに感情的に反発し合い、政策をまともに考える力を失っていく。その間に、保守は「やりたい政策」をどんどん通していくことになる。要するに、安倍首相と共産党は、お互いに「必要悪」な存在であるのは間違いないように思える。
そして、「分極的一党優位性」とは、自民党長期政権と万年野党という「55年体制」とほぼ一致する。一方、「穏健な保守中道二大政党制」は、自民党と民主党など「改革」を志向する野党が政権を巡って競い合った90年代から2012年までの「改革の時代」に近い。言い換えれば、「何も変えたくない現状維持の体制」と「改革と進歩を志向する体制」の戦いということだ。
大阪維新の会の取り組みは
これからの中道陣営のあり方を示している
この対立構図は、今回の大阪府知事・市長の「クロス選挙」、そして大阪府・市議会選挙の構図に近いのではないだろうか。「反維新」の陣営は、国政で激しく対立する自民党・公明党と共産党が組むという、政策的には知事・市長の座を得てなにがやりたいのか、よくわからない共闘だった。
もちろん、大阪都構想の住民投票の時から、反維新陣営は維新の会の「非民主的な手法」を問題視してきた。それについては、見事な一貫性がある。また、政策的には、橋下徹元知事・前市長が登場する前の府政・市政のサービスに対する府民・市民の満足が高かったと主張し、「今の制度でも二重行政は解消されており、大阪市を廃止する必要はない」と訴えてきた。
だが、今後の大阪をどうするかの具体的な展望はなかった。展望など持ちようがなかったのだろう。反維新の府知事・市長候補者は、政策的に真逆な自民党と共産党に同時に推されている候補なのだから、あっちにもこっちにも顔を立てなければならず、演説に立っても「忖度」ばかりでなにも言えないのは仕方がないことだ。
結局、橋下元知事・市長がかつて言っていた、「税金の使い方をとことんやってきた。誰かのポケットに入っていないか。7年半やってきた。職員の給与、組合からアホ、ボケ、カスと言われ、医師会、薬剤師会、トラック協会、ナントカ協会、町内会、商店街のナントカ連盟……」(第107回)というような、労組や既得権者たちとうまくやっていた「昔に戻ろう」というのが、反維新の訴えだったということだ。