――阿部さんの最初の冒険は、2005年の南米大陸単独自転車縦断ですね。なぜ、冒険をしようと思ったのですか。

 大学3年生の時に、「このまま卒業して就職していいのか」と悩んでいました。そんなときにインターネットで冒険家の大場満郎さん(山形県出身の極地冒険家)の「笑って死ねる人生を生きるために冒険家をしている」という言葉を読んで、衝撃を受けました。子どもの頃からの、世界中を旅して回る冒険家になりたいという夢をかなえたいと思っていたじゃないかと。そこで、大場さんの冒険学校でしばらく住み込みで働き、冒険のための準備を進めました。

 最初の南米大陸単独自転車横断は、周りからも反対され、親からも半ば勘当されました。それに誰も知らないところへ自転車だけ担いで行ったので当然知り合いもおらず、言葉がまるで通じないところから始まりました。ただし、自分で始めたことなので、途中でおめおめと帰れないという(笑)、そういう意地みたいなものが若い自分をプッシュしていたんじゃないかなと思います。

 だから、最初の頃は、どこか自分の中で、人を見返してやりたいとか、そういうごく個人的なものが、ありました。

 でも冒険をしている中で、知り合った人々から、さまざまなことを教えてもらったり、家に泊めてもらったりといこともありました。自分が好きでやっていることだけど、いつの間にか、応援してくれる人のためにも自転車の旅を実現したいと思うようになって。そう思うと、すごく力が湧いてきたのを覚えています。

南極を単独でソリを引いて歩く阿部さん
南極点に向けて単独でソリを引いて歩く阿部さん

南極冒険のために
どんな方法で資金を集めたのか

――ところで、南極冒険のための費用はどのくらいかかったのですか?

 約1500万円ですね。それはスポンサーから提供してもらったウエアとか装備も合わせてです。それらを抜くと1200万円くらいですかね。

 資金調達は、まずは自営の人力車で稼いだお金と、クラウドファンディングで300万円くらい集まりました。そしてスポンサー、あとはカンパのパーティー、個人で支援してくださる方からの振り込み、講演会の費用、たまにコラムも書いているので原稿料などですね。

――それこそ、大企業に飛び込みで行って資金を集めとかもするんですか?

 昔は『会社四季報』を見て代表電話に電話を掛けたりしました(笑)。まず、そこからやらなきゃいけないんですよ。それで広報につないでもらって、電話に出た人の名前を聞いて手紙を書いて資料を送ったりしていました。それでスポンサーについてくれたところもあります。100社以上にお願いしたでしょうか。

 冒険を重ねることでさまざまな人々に出会うことができ、支援者が増えてきたと思います。今は、人のつながり、縁で、支援者と出会えるようになってきたので、四季報を見て電話を掛けることはなくなりましたね(笑)。