だが本書を読むと、理解できることがいっぱいある。それらをあえて乱暴に、経済通の人なら絶対に言わないような一言で言い切ってしまうと、経済って「情」なんだ、と私は思ったのである。
互いに煙たがりながらも持ちつ持たれつの国と銀行の依存関係は情愛そのものだし、未来を楽観視したり悲観したりするのも気持ちの問題である。
何よりも、生産者側で競争が激しくなればなるだけ商品価格が下がり、利益が薄くなり、働いている人の給料が下がり、ということは商品がさらに売れなくなり……という悪循環くらい私にだってわかる理屈だけど、それでも名だたる大企業がいっこうにそれを止めることができないのは、これはもう業としか言いようがないだろう。
私は常々、金融機関ほどクールで情と無縁の存在もないと思っていて、だからずっと「信用金庫」のあの「信用」という言葉がしっくり来なかった。でも本書を読んでよくわかった。経済って、「信用」そのものなんだ。あまりにも人間的過ぎる行為なんだと。
「仮想通貨」は1万年以上前からあった!?
本書には、経済をわかりやすく説明するための数々のエピソードや事例が示されており、これがまるで小説の描写のようで実におもしろい。
捕虜収容所では、さまざまにある物品の中で、なぜタバコが貨幣の代わりをしたのか。森にやってきた狩人の集団はなぜ、みんなで鹿を狙うか1人で兎を仕留めるか、迷ってしまうのか。献血は、なぜ有償の国より無償の国のほうが多く集まるのか。
「仮想通貨」なんて1万年以上前からある、という話や、あのカール・マルクスがフランケンシュタインに影響を受けていた(!)なんて逸話にもグッと来てしまう。
最初の問いに戻れば、出発点は「どうして世の中にはこんなに格差があるのか?」という疑問だった。それを将来ある娘に語って聞かせるのは、むろん、格差なんて存在しない世の中になってほしい、という含意がそこにあるからだというのは誰にでも理解できる。
そのために私たちは何をしたらいいのか。最後にバルファキスが書いていることは、ある意味、拍子抜けするくらいあたりまえのことだ。それこそ年に100冊も200冊も経済書を読み漁る人たちの中から、「そんな凡庸なことが結論なのか?」と批判ないしは揶揄の声がもっと聞こえてきてもおかしくないとすら思う。
しかしこの人はほんとうに本気なのだ。私たちが本気でそこに向かえば世界は変わると、そう思わなければこんな本は書かない。なんといっても、ギリシャが財政難に陥ったとき、「緊縮財政にしろ」と言ってきたEUに対し、債務の一部帳消しを要求して、国民投票で緊縮策受け入れ反対の声を勝ち取ったた筋金入りの人だから。
私は、他人からどんなに「甘い」と言われようと、娘には、人より抜きん出るとか、勝つとか、成功するとか、そういうことを生きる上での第一義にはしてほしくないと考えている。むろん、本人の努力で得たものは掛け替えがないけれども、それよりも、自分と自分でない人の違いに驚き、ためらい、考え、迷い、歓びを見出すような生き方をしてくれたらいいな、と本気で考えている。私の中の数少ない「本気」がこれだ。
だからこのバルファキスの本は、格差について「本気」で考えたこの本は、私の大きな支えになってくれたと思っている。