元財務大臣が十代の娘に語りかけるかたちで、現代の世界と経済のあり方をみごとにひもとき、世界中に衝撃を与えているベストセラー『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ヤニス・バルファキス著、関美和訳)がついに日本に上陸した。
ブレイディみかこ氏が「近年、最も圧倒された本」と評し、佐藤優氏が「金融工学の真髄、格差問題の本質がこの本を読めばよくわかる」と絶賛、ガーディアン紙(「新たな発想の芽を与えてくれるばかりか、次々と思い込みを覆してくれる」)、フィナンシャル・タイムズ紙(「独自の語り口で、大胆かつ滑らかに資本主義の歴史を描き出した」)、タイムズ誌(「著者は勇気と誠実さを併せ持っている。これぞ政治的に最高の美徳だ」)等、驚きや感動の声が広がっているその内容とは? 一部を特別公開したい。
元財務大臣の父が娘の素朴な疑問に答える
赤ちゃんはみんな裸で生まれてくる。でも、高級ブティックで買った素敵な肌着を着せてもらえる赤ちゃんがいる一方で、多くの赤ちゃんはボロを着せられる。
少し大きくなると、親戚や名付け親がいやになるほど洋服をプレゼントしてくれて、うんざりする子どももいる。金持ちの子は、「本当は別のものが欲しかったのに」なんて思ってしまう。たとえば最新のiPhoneとか。でも一方で、穴の開いていない靴を履いて学校に行ける日がくるのを夢見ている子どもたちもいる。
そんな格差が存在するのが、いまの世界だ。
君は小さなころから、世界には格差があることに気づいていたようだ。でも、毎日の生活で格差を体験することはないだろう。世界には貧困や暴力に苦しんでいる子どもたちのほうが多いけれど、君の通っている学校の生徒たちは、貧困や暴力とは無縁なのだから。
このあいだ、君はこう聞いたね。
「パパ、どうして世の中にはこんなに格差があるの? 人間ってばかなの?」
そして、君は私の答えに納得しなかった。じつは、私もこのときに話した答えに納得していなかった。だからもう一度答えさせてほしい。
今回は問いを少しひねってみよう。
なぜ、アボリジニがイギリスを侵略しなかったのか?
君はシドニーで生まれ育ったので、アボリジニのことは学校でたくさん教わってきたはずだ。オーストラリアの「白人」が、先住民のアボリジニに非道な行いをしたこと。ヨーロッパからきた侵略者が、200年ものあいだアボリジニの素晴らしい文化を踏みにじってきたこと。長きにわたって暴力と略奪と屈辱にさらされてきたせいで、アボリジニがいまもありえないほどの貧困の中で暮らしていること。そうしたことを、先生が延々と教えてくれたと思う。
でもこう考えたことはあるだろうか?
「どうしてオーストラリアを侵略したのはイギリス人だったのか?」って。
アボリジニの土地を略奪し、先住民を排除したのはイギリス人だが、「どうして逆じゃなかったんだろう?」って考えてみたことはないだろうか?
アボリジニの兵士がドーバーに上陸し、またたく間にロンドンに進軍して、女王と抵抗するイギリス人を皆殺しにしなかったのはなぜだろう?
学校の先生は、そんな話はしなかったはずだ。
でも、これは大切な問いだ。よく考えて答えてほしい。
注意深く考えなければ、ヨーロッパ人は賢くて力があったから(まさに当時の侵略者たちの考え方だ)とか、アボリジニはいい人たちだったから残忍な侵略者にならなかった、なんて答えをうっかり受け入れてしまうかもしれない。
だがこのふたつは、どちらも同じ考え方だ。「なぜ」も「どのようにして」もなく、ただヨーロッパの白人とアボリジニは本質的に違うと言っているだけで答えになっていない。言うまでもなく、アボリジニやその他の人々への非道な犯罪行為を正当化することにもならない。
歴史の中で迫害された人たちのことを、賢くないから犠牲になったのだと少しでも思いそうになったら、そんな考えは捨てたほうがいい。
ここで最初の「なぜ、世の中にはこんなに格差があるのか」という疑問は次の、もっと意地悪な疑問につながることになる。
「たんに世の中には人より賢い人たちがいて、賢いからほかの人たちより力を持っていろいろなことができるということでは?」
シドニーでは街を歩いていても、君がタイに行ったときあちこちで目にした、とても貧しそうな人は見かけない。これはやはりそういう理由だと思うだろうか?
かつて、市場はあっても経済はなかった
豊かな西洋で育った君は、大人たちがこんなふうに話すのを聞いたことがあるはずだ。
「貧しい国は経済が弱いから貧しいんだ」と。
君が住んでいる地域にも貧しい人はいる。その人たちはほかの人が欲しがるものを売っていないから貧しいんだと言う人もいる。要するに、貧しいのは、その人たちが市場が何を求めているかをわかっていないからだと。
私が君に経済について語ろうと思った理由はそこにある。
「なぜ、世界には貧しい人がいる一方で、途方もない金持ちがいるのか」ということも、「なぜ、人間は地球を破壊してしまうのか」ということも、すべては経済にまつわることが理由だ。
その経済と関係があるのが市場だ。だから、経済とか市場という言葉を聞くたびに、そういう話はいいやと耳をふさいでいては、未来について何も語ることはできない。
まずは、たくさんの人が間違ってしまうことから教えよう。市場と経済は同じものだと思っている人は多い。だがそれは違う。
では、市場とは何だろう?
市場は交換の場所だ。スーパーに行くと、みんなカート一杯にものを詰め込んで、それとおカネを交換する。スーパーの持ち主や従業員は、そのおカネを自分たちの欲しいものに交換する。
おカネが発明される前はものとものを交換していた。たとえばバナナとリンゴを取り換えていた。いまはインターネットの発展につれて、市場は物理的な場所ですらなくなっている。iTunesでアプリをダウンロードしたり、アマゾンで古いレコードを手に入れたりできる。
市場は大昔からあった。われわれの祖先が木の上に住んでいた時代から、食べ物を育てる技術が発達する前から、市場は存在していた。誰かが大昔にバナナと別の果物を交換しようと言い出したときに、市場の取引らしきものが生まれた。だが、これだけでは本物の経済とは言えない。
経済がこの世に存在するには、別の何かが必要だった。バナナを取ったり、獲物を仕留める以上の技術がなければ、経済は生まれなかった。たとえば、畑を耕して作物を育てたり、自分たちの手でこれまでにない道具をつくったりする技術が必要だった。
(本原稿は『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』からの抜粋です)