木彫りの象との運命的な出合い
虚空を映す目に一目惚れ

 Aさん(38歳男性)はマレーシアに旅行に行った。海外はアメリカに次いで2度目、本人はボディランゲージ多めのブロークンな英語を、同行者は流暢(りゅうちょう)な英語を話すことができた。マレーシアは英語が通じる国であるし、現地の友人が案内してくれる予定でもあったから、海外旅行につきまといがちな不安はほぼなかったと言っていい。主目的はその友人の結婚式への参列であった。旅程は3泊5日とタイトだったが、本番の結婚式も含めて非常に有意義な時間をAさんは過ごした。

 事件の芽は初日にあった。マレーシアの友人が連れていってくれた観光地にもなっている巨大な市場で、Aさんはある木彫りの象と対面を果たす。胸にようやく抱きかかえられるくらいのサイズで、全身の光沢と模様は素晴らしく、何より虚空を映しているかのような目つきがよかった。Aさんはその象に一目惚れした。

 実はAさんは象の置物と個人的な因縁があった。さかのぼること十数年、日本のアジアン雑貨の店でとある象の置物に魅了されたのだが、金額が4万円とあって購入を躊躇(ちゅうちょ)した。「欲しいなあ。でもやっぱり高いなあ」と思っているうちにその象は売れてしまい、以降アジアン雑貨の店を見つけると入っては物色したが、4万円の象と同程度か、またはそれより魅力的なものとはついぞ出合えなかったのであった。

「あの時あの象を買っていれば…」。Aさんは何度そうしてほぞを噛んだことであろうか。

 そうこう過ごして十数年、ついに4万円の象をしのぐ超越的象との邂逅(かいこう)を、異国の地マレーシアで果たしたのである。値段は当然マレーシアの通貨リンギットで表示してある。1リンギットが30円弱なので、5リンギットなら150円である。空港に着いた時から頭の中で電卓をはじく癖をつけていたAさんに死角はない。木彫りの象は円換算で3万円とあった。

 しかしやはり、3万円というのは大きい出費だ。平素物欲が少なく、万事節制が身に付いているAさんにとって、4万円の象を買い逃した後悔を引きずりいつかリベンジしてやりたいと思っているとはいえ、やはりおいそれと買えるものではない。ちなみにマレーシアの貨幣価値は日本に比べてざっと3分の1である。日本で買えば9万円相当の象であった。