まるで“浮き輪”のようなお腹まわり・・・このポッコリお腹をなんとか凹ませたい。
でも、「あんまり頑張らずに」ってのが人情ですよね。
運動すれば痩せるのはわかってる。
けれど、それができない。やりたくないんですよね。
わかってます、わかってますとも!
その体脂肪、運動ナシでも落とせる方法を教えましょう。

「メタボ」「高血圧」「糖尿病」からの脱出

 前回、エラそうに健康自慢をしましたが、食べトレを開始する17年前、52歳だった頃の私は不健康そのものでした。
 体重は、いまより10kg重い67kg。お腹まわりは内臓脂肪を抱えてでっぷりとして、完全なメタボ(メタボリックシンドローム)だったのです。

 血圧は下が95前後、上は150くらい。
 少なからずストレスが加わり、血圧が上がる外来診療後は、下が100、上が180を超すことも珍しくはありませんでした(単位はいずれもmmHG)。これは立派な高血圧患者です。

 糖尿病の診断指標の1つであるヘモグロビンA1cの値は6・7%でした。
 6・5%以上だと「糖尿病型」と判定されますが、実際にのちの診断で糖尿病が確定しました。
 私の父は、糖尿病によって77歳で足を切断し、80歳で心筋梗塞で亡くなっています。
 私も同じ道をたどらないように、何とかしなければと思っていました。
 そのときに開始したのが糖質制限食、これが「食べトレ」をスタートさせるきっかけになったのです。

 デブでメタボ、高血圧で糖尿病……まるで“病気のデパート”みたいですが、決して不健康な生活をしていたわけではありません。
 むしろ、医者だけに健康には気を遣っていました。

 食事は基本的に「玄米魚菜食」でした(いかにも健康そうですね)。
 玄米、イワシやサバなどの魚介類、野菜をたっぷり食べて、肉類や油脂は控える食事法です。
 いまでこそ、糖質制限食のパイオニアとして知られるようになった高雄病院ですが、もともとは糖質をたっぷり含む玄米魚菜食を糖尿病の患者さんに推奨していたのです(いまとなっては、反省しています)。

 高雄病院が入院患者に対する病院給食として玄米魚菜食を提供し始めたのは、1984年のことでした。おそらく、日本で初めての試みです。
 厳格な「玄米菜食」だと、たんぱく質やビタミンが不足する恐れがあるので、魚介類と鶏肉はOKとしました。
 そして、患者さんに食べてもらうなら、自分も同じものを食べるべきだと思い、私も玄米魚菜食にしたのです。

 それまで大好きだったラーメンもうどんも断ち、好物のチョコレートもやめました。健康には気を遣っていた(つもりだった)のです。
 年に一度は断食もしました。
 私は全共闘最後の世代です。その縁もあって1984年、私が34歳のときに母校・京都大学の学生たちが、トマホーク核ミサイルを積んだ米原子力潜水艦が佐世保港に入港するのに抗議して、京都高島屋の前でハンガーストライキ(断食)をした際、健康管理を頼まれたことがありました。
 このことがきっかけとなり、私も断食を試してみたのです。
 ハンガーストライキは断食そのものであり、断食の健康効果は古くから認められていたからです。

 また週2回は趣味のテニスで汗を流し、週1回はスポーツジムにも通うなど、やはり健康に気を遣っていました。
 当時は玄米魚菜食で、年1回は断食して、定期的に運動をしていたのに、私の体重はじわじわと増え続けていきました。内臓脂肪がたまり、血圧や血糖値などの健康データは、年々悪化し続けたのです。

 健康に気を遣っていたのに、なぜ不健康になっていったのでしょうか?
 諸悪の根源は、糖質を日に何度もたくさん食べる“糖質の頻回・過剰摂取”にあったのです。

(次回へ続く)