「移民」の問題なのか
日本人の問題なのか

 そこに、とあるペルー人夫婦が日本に永住することになった理由も出てくる。1年だけ出稼ぎのつもりで来日したものの、そのまま日本で同郷出身同士で結婚、娘がふたりできた。娘たちはペルー国籍だが日本で育ち、日本語の方が上手だ。娘が生まれたときに日本に住むと決意をしてそのまま30年が経ったという。状況や感情で人は行動を決め、帰国するつもりがそうならないことは当然あるはずだ。そう、人生はわからないものなのだ。人間は鉄や小麦とは違う。モノではなく「人」なのだ。労働のみならず、教育、医療、社会保障……と人間は必ず問題を抱える。統計の予想とは別の方向に行く可能性が大いにあるのに、この「人生の予測不可能性」自体が忘れられることが多い。それが読んでいると伝わってきた。

 この「人生の予測不可能性」を予測するのがあるべき政策のはずだが、それはできているだろうか。たとえば、移民が社会に溶け込むのに、何より必須となるのは日本語だろう。ドイツではドイツ語を入国時に教えるというが、日本では受け入れる企業任せの場合が多いそうだ。けれど、そもそも、私たちが日本語を使えるのはなぜだろう。それはきちんと小学校で漢字を習い、読み書きを教わったからだ。それをさせないということは、日本に呼んでも日本社会に入れないという事に等しいとも言える。こうなると、「移民」の扱い方は、どうも自国の日本人に対する扱いの延長にあるようにも思えてくる。これって、「移民」の問題なのか日本人の問題なのか。

 どうも、移民のことを考えていくと、日本人の自分たちに話が戻ってくる。それは望月さんの思いでもあるように感じた。こんな言葉が終盤に出てくる。

 “同じ社会に暮らしていても、一人ひとりは互いの小さな世界の中で暮らしている。互いの存在は見えず、知り合わず、話し合わない。それは私も、あなたも、同じことである。”

 最近の「移民」事情はどうなっているのかな、となにげなく読み始めた新書で、いつのまにか考えさせられていた。普段見えない世界を教えてくれる、よき一冊だ。「移民」を考える際には手に取ることをお勧めしたい。

世界で十指に入る「移民国家」日本の建前と現実

(HONZ 足立真帆)