ためしに、「わはは、無人島を支配した! 誰も乗っていないイカダをジャックしてやったぞ!」という組織を想像してみたが……、うん、ぜんぜん悪じゃない。だから、やはり「悪の組織」は、人々の自由を奪うからこそ「悪」なのであり、「正義のヒーロー」はその悪を食い止めるからこそ「正義」なのだ。

「最後に、宗教の逆、反宗教だが……、これは、宗教になじみのない人には少しわかりにくいかもしれない。とりあえずは『社会の伝統的な価値観に反する行為』を思い浮かべてみてほしい。たとえば、お墓をむやみに壊したり、老人を粗末に扱うような行為だ。他には複数の異性と仲良くする行為も入るだろうか。これらについても、おそらくキミたちは不正義という感覚を得るはずだ」

 そう言いながら、風祭先生は、ジーッとにらみつけるような視線で僕の顔を見つめた。え? いやいや、たしかに僕の両隣には女の子がいますけど、全然そういうんじゃないですから!

 しかし、そんな僕の狼狽を無視し、先生は「ちょっとまとめてみよう」と言って次のことを書き出した。

 (1)不平等:正当な理由もなく、人間を差別して平等に扱わない行為 → 悪
 (2)不自由:人間の自由に生きる権利を奪う行為 → 悪
 (3)反宗教:宗教または伝統的な価値観を破壊する行為 → 悪

「と、このように、我々が悪と呼ぶものは、おおよそこの3種類に分類できるわけだが、逆にこれらの悪を犯さず改善しようとする行為を『正義』だと言うことができる。つまり、『平等、自由、宗教』を推し進める行為が『正義』だと定義できるわけだ。では、これらの正義を具体的に実現するには、どのような思想、考え方が必要になるだろうか?

 次回記事『哲学史2500年の結論! 人間の思考は「3つ」に行きつく』に続く。