哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第2章を特別公開します。


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。 

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

そもそも「正義」とは何か?

 「正義とは何か?」
 風祭封悟(かざまつりふうご)先生は、倫理の授業が始まるやいなや生徒たちを見回し、そう問いかけた。
 
 もちろん答える者はいなかった。というより、まともに話を聞いてる生徒の方が少なかったと言うべきかもしれない。

 うちの学校の生徒たちは、特別授業として「日本史、世界史、地理、倫理」のいずれかを選択できるのだが、なかでも倫理は一番人気が少なく、そのため教室は閑散としていた。なぜ倫理の授業は人気がないのか。それは、なんとなくわかる気がする。だって、日本史や地理は何を勉強するのかはっきりわかるが、倫理は何を勉強する科目なのかあまりピンとこないからだ。

「さて、今日からキミたちは倫理の授業を受けるわけだが、この授業は何を学ぶ授業だろうか」

 生徒からの回答がないのも気にせず風祭先生は授業を進めた。スキンヘッドにタートルネック、そして少し赤みの入った色眼鏡という、およそ教師とは思えない個性的な風貌の先生は、学校でも変わり者で有名だ。

「まず辞書的に言えば、倫理とは、『人として守るべき道』『道徳』『正義』といった意味を持つ言葉である。ゆえに、『倫理の授業』とはすなわち『正義の授業』だと言える。つまり、この授業は、『正義とはどういうものなのかを学ぶ授業』だと思ってもらえればいいだろう」

 この話を聞いて、僕はちょっとガッカリした。なんだ、倫理って「正義」について学ぶ授業だったのか。それを知ってたら選択なんかしなかったな。だって、そんなものに答えなんてあるはずがないからだ。

「山下正義(まさよし)くん、君は、生徒会の会長だったね」
 考え事の最中にいきなり先生に声をかけられ、僕は一瞬ドキリとした。が、よく考えてみればそれはそんなに不思議なことではなかった。

 なぜなら、僕は一番前の席、先生の目の前に座っていたからだ。ちなみに、数少ない他の生徒たちは、みな後ろの方の席に座っている。基本的にこの倫理の授業を受けている者たちはジャンケンに負けた者たち―日本史、世界史の授業が定員オーバーになったのでジャンケンに負けてしかたなく倫理を選択する羽目になった者たち―である。

 当然彼らにやる気はなく、ただでさえ閑散とした教室の後方の席を陣取り、各々勝手に違う教科の勉強をしていた。正直に言えば、僕だってそうしたかった。一番後ろの席でのんびりとしていたかった。だが、そんなことは隣に座っている副会長の倫理(りんり)が許すはずがない。

「生徒会役員は、全校生徒の模範たれ」

 それが座右の銘の副会長が、「前の席が空いてるのに、後ろの席に座って授業を受ける」なんてことを認めるわけはないのである。

 というわけで、僕は今、一番前の席。左右を倫理と千幸に挟まれて座っていた。ちなみに、ミユウさんはというと、一番後ろの席でいつものようにだらんと座っている。彼女は、上級生だが、今年は生徒会メンバーに合わせて倫理の授業を選択したそうだ。副会長の圧力に屈せず、マイペースに後ろに座るミユウさんのメンタルが本当に羨ましい。

ともかく、そんなわけで、生徒会メンバーは全員この授業を受けていた。
「生徒会長のキミに問おう。正義とは何だろうか?」
「え、えーっと、正義とは……正しい行為をすること……でしょうか」

 さすがに建前だとは言えなかったので、咄嗟に別の答えを用意したのだが、我ながらなんて稚拙な答えだろうか。頭痛とは何かと問われて「頭が痛いことです」と答えてしまったみたいで、ちょっと恥ずかしい。後方席の一般生徒はともかく、隣の生徒会メンバーの顔を見るのが怖い。

「なるほど。正義とは、正しい行為をすること……。シンプルな答えであるが……、いやいやどうして大正解だ。素直でとても好感の持てる答えでよろしい」

 先生的にはどうやら満足のいく回答だったみたいだ。
「いま彼が述べたように、たしかに正義とは『正しい行為をすること』である。しかし、ではどうすればその『正しい行為』ができるだろうか? これは簡単な問題ではない。たとえば、『少数を殺せば多数が助かる』というような状況を思い浮かべてみてほしい。そういう状況に置かれたとして、果たしてキミたちは『正しい行為』、すなわち『正義』を選択することができるだろうか?」

 たしかそれって「トロッコ問題」とかいうやつだったかな。