哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の話題書『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第2章を特別公開します。(初出:2019年6月21日)


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

哲学史2500年の結論! 人間の思考は「3つ」に行きつく【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

功利主義、自由主義、直観主義とは?

 ※前回記事『悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく。』の続きです。

「3種の正義を追い求めようとしたとき、人間の思考は次のような主義に行きつく」

(1)「平等の正義」を実現するには → 功利主義(幸福を重視せよ!)
(2)「自由の正義」を実現するには → 自由主義(自由を重視せよ!)
(3)「宗教の正義」を実現するには → 直観主義(道徳を重視せよ!)

「それぞれ簡単に説明していこう。まず、平等という正義の基準を実現させる思想、『功利主義』についてからだ。この主義の内容はよく『最大多数の最大幸福』という言葉で説明されることが多いのだが、これはようするに、『全員の幸福度を計算し、その合計値が一番大きくなる行動をしなさい! それが正義だ!』という考え方のことだ」

 え、それって思いきり千幸のことじゃないか。ことあるごとに「ハッピーポイントの合計値」がどうこうと訴えかけてくるアホの幼なじみの顔が真っ先に浮かんだので、実際に右隣を見てみると、案の定、目をキラキラと輝かせ、すごい勢いで頷いているアホがいた。

「次は、自由主義。これはその名の通り、人の自由を第一に考える思想で、ようは『個人の自由を守る行動をしなさい! それこそが正義だ!』という考え方のことだ。単純に『みんなの自由を守ろう』という話だから、誰もが共感できて一番なじみのある正義だと思う」

「ただし、この主義は裏を返すと『他人の自由を奪わないかぎり何をしてもいい』とも言えるため、3種類の中でもっともフランクな正義だとも言える」

 これは自由を愛するミユウさんだな。実際、「誰にも迷惑かけてないんだからいいでしょ」という台詞を何度となく聞いたことがある。後ろにいるミユウさんの表情はわからないが、だらんとした姿勢のまま、きっと大きく頷いていることだろう。

「最後は直観主義。これは抽象的で少し説明が難しい思想なのだが、ようは『良心に従って道徳的な行動をしなさい! それこそが正義だ!』という考え方のことだ」

「なお、この主義において正義や道徳とは、直観……すなわち良心で『直ちに観てとる』ことで初めてわかるものであり、理屈や計算でわかるものではないという立場をとっている。したがって、しばしば直観主義者は、理屈を拒否し、『良心を働かせれば、これこれが正しいことは自明である。だから、さあこの正しいことをしなさい』といった押しつけをしてしまう傾向を持っている」

 これはまさに、いつもの倫理そのものだな。そうか、彼女は直観主義者だったのか。もっとも倫理の場合、そこでさらに「で、なぜこの正しいことができないのですか?」という追及のおまけまでついてくるのだが……。

 左隣を見ると、まっすぐ前を見て背筋を伸ばし、凛とした佇まいで座っている倫理の姿があった。どうやら直観主義者の欠点が、自分のことを揶揄しているとは微塵も思っていないらしい。

 正直、できれば今の先生の話を聞いて「これって私のことですよね、正義くん、いつも独善的で正しさを押しつけて、すみませんでした」と謝罪してほしいところなのだが。

 と、そんなことを考えつつ、倫理の横顔を盗み見ていたそのとき、逆サイドから突然、肘鉄が飛んできて脇腹の急所に突き刺さった。

「……ッッ!」

 声にならない悲鳴をあげて右を向くと、肘鉄の主である千幸が不機嫌そうな顔でこっちをにらみつけていた。

 は? なんだよ、授業に集中しろってことか? 言っておくが、授業中に肘鉄入れるのは絶対正義じゃないし、僕の幸福度は確実に下がってるからな!

「さて、私は今、正義には3種類の判断基準があり、それぞれを実現する3種類の思想があると説明した。もし君たちの身近に、何らかの正義または正しさについて語る人物がいたら、この3つを当てはめてみるといい。きっとどれかに分類されるはずだ」

 先生のその言葉で僕は悟ってしまった。なぜ生徒会メンバーの3人の議論がかみ合わず、いつも平行線をたどるのか。その理由が完全にわかってしまったのだ。

 僕はノートに書いた正義の判断基準に、さっそく身近な人物の名前を当てはめてみる。そりゃあ、3人で正義について議論すれば必ず対立し、収拾がつかなくなるわけだ。だって、3人とも、全然違う基準で正義を判断していたのだから。