人は「正しさ」がなければ、生きられない。

「さて、さっき述べたように、正義とは『正しい行為をする』ということである。しかし、何が正しいかなんて時と場合によるし、さらには正しさの基準も3種類に分類できるとはいえ、やはり人それぞれなのだから、『絶対的な正しさなどない』という印象を持つ人も多いかもしれない。たしかに、それはその通りだろう。

 だが……、だからと言って、『正義』や『正しさ』について問いかけることが無駄だということにはならない。いや、むしろ、それでもなお、我々は『正義とは何か』『正しさとは何か』を問いかけるべきであるとさえ言える。

 なぜなら、我々はみな、『正しさ』を求める存在であり、何らかの『正しさ』を基準にしなければ考えることも生きることもできない存在であるからだ。

 たとえば、仮に『絶対的な正しさなんかない』と主張する人がいたとしよう。一見、彼は何の正しさも信じていないように思える。だが、実際には彼は『正しさなんかないということ』を『正しい』と信じているのだ。このように我々は何かを主張したり考えたりするとき、それがたとえ『正しさ』に疑いを持つような内容であったとしても、そこには必ず『それを正しいと思っている自分』が存在する。

 つまり、正しさの存在自体をどんなに疑おうと、『その疑いを正しいと思っている自分の存在』だけは決して疑えないのだ。このことは、すわなち、我々が『正しい』という概念からは決して逃れられないことを意味する。

 そうである以上、我々は『正しさ』に無自覚であってはならない。自分が何を正しいと思っている人間なのか……、何を正義だと思っている人間なのか……、自分の考え方の基盤、すなわち、『正しさの基準』を、我々はもっとよく知らなくてはならないのだ。

 ゆえに、我々は問いかけなければならない。

 正義とは何か? 正義とはいったい何なのだろうか?

 キミたちが今日から受ける倫理の授業は、この問いについて人類がどのように考えてきたか、その2500年の歴史を学ぶ授業である。この問いを真剣に考えることは、キミたちのこれからの人生にきっと役に立つことだろう。なぜなら、先に述べたように、キミたちは『正しさ』という概念から逃れられない存在であり、たとえ無自覚であれ、必ず『正しいこと』を求めて生きてしまう存在であるからだ」

 ―というのが先生の最後の話であったわけだが、正直ズルい気がしなくもない。

 ようするに先生が言っているのはこういうこと―仮に僕が「いやいや、自分は正しいことなんて求めて生きてませんよ」と言ったとする。すると先生はこう切り返す。「でも、キミはその自分の意見を正しいと思っているわけだよね」と。

 これに対して、僕が何か文句―たとえば「違います、僕は、自分を正しいなんて思ってませんよ」などと言ってもダメ。そうしたら、また「だから、キミはそれを正しいと思っているわけなんだよね」と同じ切り返しをされてしまう。

 結局、何か言ったことに対して「で、キミはそれを正しいと思っているんだよね」と言われ続けるわけだから、まさに無敵の論法。ハメ技みたいなものだ。

 これはさすがに屁理屈みたいなもので、必ずしも納得できる話ではない。でも……、「言われてみればたしかにその通りかも」という気持ちも少しだけある。

 たしかに僕は「正義なんてあくまでも建前であり、本当は存在しない」と思ってはいるが、逆に言えば、わざわざそう思っているということは、僕はその考えを明らかに「正しい」と思っているというわけだ。では、だとしたら、その正しさの根拠はどこからきたのか……。

 もしかしたら、僕も実は何かしらの正しさ、正義を信じているということなんだろうか? いや、そんなことはないと思うのだが。

 あ……そうだ、正しさの根拠と言えば……。
 ふと僕は思い立って後ろを振り返り、僕たちを見守っている「そいつ」に目をやった。この生徒会室にいるのは「僕、倫理、ミユウさん、千幸」の4人だが、実はもうひとり、生徒会室の隅に座ってこちらをじっと見ている学生服姿のやつがいる。そう言えば、こいつの存在にも正しいか正しくないかの結論を決められた期日までに出さないといけないんだった。その日のことを考えると少し憂鬱になってくる。

 でも、もしかしたら、風祭先生の倫理の授業を受けることで、この問題に答えを見つけ出すことが……。いや、期待するのはよそう。

 生徒会メンバーでさんざん話し合ってまったく答えが出なかったことじゃないか……。
 僕は、再び前を向く。外は完全に暗くなったというのに、いまだに不毛な議論を繰り広げている光景がそこにはあった。

 結局のところ……、正義とか正しさなんてものにこだわるから、人は悩んだり、苦しんだり、喧嘩したりするんじゃないだろうか。だったら正義なんか建前として受け取っておいて、あとはそれっぽい妥協案で適当に満足しておけばいい。

 それが一番平和だ―という思いが浮かんできたのだが、次の瞬間、「なるほど、それがキミの正しさなんだね」という風祭先生の声が脳内に響いてきたので、僕は頭を振ってそれを払い、無になってこの時間をやりすごすことにした。

(『正義の教室』第2章 3種の正義「平等、自由、宗教」より抜粋)