「年金だけでは豊かに暮らせない」は
誰でも知っていたこと
6月初めに出された、金融庁の市場ワーキング・グループがまとめた報告書が世間を騒がせている。この問題については、いろいろと残念なことが多い。
そもそものメディアの取り上げ方が根本的に間違っていたし、それを政権攻撃の材料にしようとする野党、年金が問題化することを恐れて受け取り拒否などという暴挙に出た金融担当大臣、そして何よりも「年金」と聞いただけで脊髄反射的に「破綻だ」「詐欺だ」と騒ぐ一部の人たち。いずれも実に残念としか言いようがない。
この問題については、識者の多くがコメントしているし、最近ではようやく冷静な議論になりつつあると思われるので、本コラムでは少し違った視点からのアプローチを行なうことで、今回の問題で起こっている勘違いについて述べてみたいと思う。
一口に勘違いと言っても、年金制度やライフプランニングなど、かなり多岐にわたる勘違いがそこには存在しているのだが、全てを話すとあまりにも範囲が広がりすぎて収拾がつかなくなるため、今回は市場WGの「報告書」の内容に限った勘違いについて述べてみたいと思う。
まず、1つ目の勘違いは、今回の報告書の目的についての勘違いである。最初にこの報告書が報道された時は、「老後の生活には2000万円不足するから自助努力でそれをまかなおう」という部分のみが切り取って取り上げられたため、「年金の破綻をついに国が認めたのか!」とか「保険料を払わせておいて自助努力はないだろう!」といった意見がネットに多く上がってきた。ところがこの報告書をよく読めばわかるが、どこにも年金が破綻するだの、老後の生活は自助努力しかない、などということは書いていない。
この報告書の前提となっているのは、以下の社会情勢である。
(1)今後の社会状況を考えると、長寿化によって資産寿命を延ばす必要が出てくる
(2)さらに今後、高齢化が進むことによって金融取引に対する認知・判断能力が低下する人が多く出てくるようになる。
これらが前提として述べられており、これらを踏まえて今後は誰もが将来の生活を「自分ごと」として考え、自助努力で備えると同時に、金融業者もそれに寄り沿う形で顧客に対応すべきであるということ。すなわち、以前から唱えられているフィデューシャリー・デューティー(顧客本位の業務運営)を、より一層重視していくべきであるということを言っているに過ぎない。
ところが、結論に至る説明の話の中で前提としてたった1行出てきただけ、それも1つのケースとして取り上げられたに過ぎない「2000万円の不足」という表現だけが歪曲して取り上げられてしまったことが、今回の騒動の発端になっているのだ。
しかしながら、報告書で述べられていることは、今までも多くの人が当然のこととして認識していたことである。公的年金というのは収入がなくなってしまった、人生の終盤期を支えるための保険制度であり、年金だけでぜいたくな暮らしができるなどとは、誰も考えてはいない。