忘れたことすら意識されない消費財
雨が多い季節がやってきた。この季節に毎年モヤモヤしているのが、なぜ人は傘を置き忘れ、しかもその現象を真剣に改善しようとしないのか、ということである。
先日、鎌倉に行くために湘南新宿ラインに乗った。外は、雨が降ったりやんだりしている。いつからなのか、空いている座席の手すりに、紺色の傘が置き忘れてあるのに気がつく。しかし、新しい客が乗ってきてその席に座り、目的の駅で降りても傘のことを気に留めている様子はない。というか、その車両に乗っている人全員が、傘のことなど、まるで存在しないかのように、無関心に過ごしている。
ほかの忘れ物なら、そうはならないだろう。たとえば、座席にカバンや財布、スマートフォンが置き忘れられていれば、誰かが降りる際、駅員に届け出るに違いない。
存在自体が無のように扱われる傘を見て、傘は忘れることが前提のものであり、日本人にとってわざわざ届けるほどのものではない「消費財」なのだと実感した。
そういう筆者も、よく傘を置き忘れる。その事実を、実際に傘を置き忘れたときにしか思い出さないくらい、意識すらせずに忘れている。どうして傘を置き忘れるのか。そして、どうすれば傘を置き忘れないのだろうか。