40歳、未経験で外資系ブランドのトップに
実は私自身、20年以上前から、現在と同じような苦境の中で、モノを売る使命を課せられてきました。
最初は、1988年から1992年まで代表取締役を務めた、ジバンシイの化粧品部門の日本法人、パルファム ジバンシイです。広告代理店に18年間在籍した後、実家の事情で転職せざるを得ない状況になり、縁あって外資系企業のヘッドハンターと知り合いました。その方に紹介され、当て馬だという覚悟で臨んだのがジバンシイ社の面接です。
社長業はもちろん、外資系ブランドも化粧品業界も未経験。なのに、なぜか私に決まってしまい、「なあんだ、外資系の日本法人のトップなんて、割と簡単に採用されるもんだな」と頬を緩めながら、正直なめてかかっていたところがありました。
時代はまさに、バブル真っ盛り。巷では一泊数万円のホテルが若者で満室になり、何十万円ものスーツやバッグが飛ぶように売れていました。そんな好況下で、ジバンシイ製品も簡単に売れると思いきや、まったく鳴かず飛ばず。
入社してみて分かったのですが、当時のジバンシイは、伝統はあるけれど年配者向けのブランドイメージで精彩を欠いていたうえ、化粧品は後発で知名度もありませんでした。
さらに、商品のラインアップは他ブランドと比べて微々たるもの。広告費も雀の涙ほどしかなく、スタッフも私以外に4名だけでスタートという、まさにないない尽くしの状況でした。
毎日毎日、夜遅くまで考え続けても解決策は出てこず、「自分の考えが甘かった!」と、イヤというほど思い知らされました。同時に、こんな劣悪な条件で結果を出せという本社に、どんどん不満が募っていくばかりでした。