6月25日の朝日新聞が「巻き返す今治タオル」と題した記事を掲載した。

 かつて愛媛県今治市周辺はタオルの産地として全国にその名を知られたが、廉価な中国産に押され、今治タオルは存亡の危機にさらされてきた。

「生産量のピークは1991年の5万456トン。その後は安い中国産になどに押され、減少に次ぐ減少。2009年には5分の1以下の9381トンに。76年に504社を数えた今治産地のメーカーは、7割強が倒産や廃業で姿を消した」

 記事はそんな今治産地がブランド化をきっかけに、反転攻勢に転じたと伝えている。

 06年に国の補助金を受け、11項目にもわたる独自の品質基準をクリアした認定商品にだけ「今治タオル」の統一ブランドマークの使用を許可。また「品質を維持するために10万枚ごとにサンプル検査をする」という念の入れようだ。さらに、ふんわり柔らかい今治タオルならではのハイクオリティを受け入れてくれる東京都心の流行スポットへの進出にも勢いがでてきたという。

「セーフガード」の不発動によって起きた
今治タオルのイノベーション

 日本各地で伝統的な地場産業が壊滅の危機に瀕しているなかで、地場産業復活の見事なお手本をレポートした秀逸な記事だったが、記事の後段に、私のある記憶を呼び覚ます記述があった。

「業界団体はかつて、急増する中国産タオルの輸入を制限してもらおうと、国に緊急輸入制限措置(セーフガード)を申請したが、発動されなかった経緯がある。平尾理事長は『背水の陣の危機感でライバルメーカーが一致結束して産地再興へ知恵を絞った、自由な競争下で鍛えられた』と振り返る」

 この2001年から2003年ほどのあいだ、産地は繰り返しセーフガードの発動要請をしたが、政府は認めなかった。そして私自身もあるテレビ番組で「セーフガードの要請に尽力するよりも、品質で勝負する新しいビジネスモデル構築に血道をあげるべきだ」といった趣旨の発言をした。この発言に、四国タオル工業組合の関係者から猛抗議がきた。

 苛烈な現実も知らずに無責任なことを言うなといった内容だったと記憶している。だが結果的には、一時凌ぎにもならぬセーフガードに拘泥することをやめ、必死に生き残りをかけて産地の産業構造全体を変えてしまうイノベーションを起こすにいたった。巻き返しはまだ始まったばかりだが「今治タオル」のブランド力はかつてとは比較にならぬ存在感を発揮している。