ほぼ幹事 そうでした。当時は作曲の田中宏和さんの会社が日本橋にありました。どこに住んでいるかわからない人たちと待ち合わせるのに、東京駅というのは一番不公平感がないと思ったんです。だから東京駅近くの作曲さんの会社集合なら初対面の田中宏和さんも安心して来られるだろうと考えました。

 その後の懇親の宴会も工夫しました。ベジタリアンの田中宏和さんも、肉しか食べない偏食の田中宏和さんも中華料理店なら何か食べられるだろうと、作曲さんの会社近所の中華で円卓の個室を恒例にして親睦を深めました。

作曲 全員田中宏和というオッさんの集まりは、周りには迷惑やからね。

『田中宏和のうた』のレコーディング風景オリジナル楽曲『田中宏和のうた』のレコーディング風景

ほぼ幹事 作曲の田中宏和さんといえば、オリジナル楽曲『田中宏和のうた』を一緒に作れたことが田中宏和運動にとっては大きかったです。ちょうど田中宏和さんが10名を超えたくらいの2009年に「そろそろ田中宏和のテーマ曲が欲しいんですが、どうでしょう?」とお聞きしたら、「詩があったら作りますよ」と。

作曲 レコーディングスタジオも本格的やったし、あの時初めて会った田中宏和さんもいたけど、たまたま一人も音痴がいなくて、11人全員でしっかり歌えたのがよかった。YouTubeにアップしたら海外から取材依頼がきたのにはビックリしたね。

京都の丹後地方で
米国文化を浴びた少年期

ほぼ幹事 今日はあらためて、作曲の田中宏和さんのこれまでの人生についてお聞きしたいと思っています。

作曲 昭和32年に京都の丹後地方、海が見え、裏手は山という環境で育ちました。だから小さい頃から自然の中で遊び倒しましたね。海に潜ってはイソギンチャク取って、ナタやノコギリを持って山を駆けずり回ってました。でも夜は真っ暗で、自然の中というのは怖かった。沼なんか落ちたら死ぬしね。だから山に入る時は、ヘビの抜け殻を切り株に垂らして「タコの神様」とか言って、手を合わせて拝んでから奥へ入ったりしてましたよ。

ほぼ幹事 イマジネーション豊かな遊びですね。その頃の自然体験が今も生きていますか?

作曲 今のエンターテイメントの仕事に生きてます。幼い時に自然を見て、それも肌で感じる経験は自分の原型をつくったと思っています。自然というランダムの中に規則性を感じたり、バランス感覚を読み取ったり、美しさを見出す感性が磨かれました。社長業という意味でも、物事を長く続けるための様々なアイディアは、自然体験がベースになった感性から生まれている気がするんです。例えば、物事の本質は運動である。強い運動体は同期性を持つと思っているんです。