『哲学と宗教全史』の
他の本にない特徴

――出口さんは、「知識のタコツボ化」を危惧されていましたが、『哲学と宗教全史』は、まさしく「全史」として、哲学と宗教の歴史を包括的に、全体のつながりの中で解釈しています。

出口:哲学の専門家がこの本を読んだら、きっと「理解が浅い」と苦笑するかもしれませんね。「素人がアホなことを言っているな」って(笑)。
でも、僕は専門家ではないからこそ、この本が書けたと思っているのです。アカデミックな哲学研究の世界では専門化が進んでいますから、たとえばカントの専門家であればカントについて深く語れる。けれど、カントの専門家がキリスト教やゾロアスター教のことまで語れるとは限りません。
僕の場合、それぞれの理解は専門家に遠く及びませんが、何にでも興味を持ってきたおかげで、哲学と宗教の歴史の全体像を「ひとつながり」で説明することができるのです。
僕の本にもし価値があるとするならば、宗教と哲学を広く、そして、どのテーマもそこそこ深く説明している点にあると思います。

――東洋と西洋という区切り方もしていませんね。

出口:僕は、「地球全体の歴史がひとつの流れである」と考えているので、「東洋史」「西洋史」などとは分けずに、ひとつの流れで見ています。
西洋・東洋という概念は、もとは明の時代の鄭和艦隊(ていわかんたい)が、マラッカ海峡を境に区切ったものです。たとえばピュタゴラス教団が、インドの輪廻転生思想がなかったら成立しなかったように、東も西もお互いに影響し合っているわけですから、哲学と宗教を学ぶときも、西洋・東洋で分ける必要はないと思うのです。