世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。
その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。
なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか?
脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。8月10日に大阪・梅田で講演会が開催される出口治明氏を直撃した。(構成・藤吉豊)

【APU学長・出口治明】<br />なぜ、参考文献を一切見ずに、<br />即座に大量の知識を<br />アウトプットできるのか?<br />《現代の知の巨人》式<br />インプットの技術

マルクスから始まり、
ヘーゲル、カント、プラトンへ

【APU学長・出口治明】<br />なぜ、参考文献を一切見ずに、<br />即座に大量の知識を<br />アウトプットできるのか?<br />《現代の知の巨人》式<br />インプットの技術出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県美杉村生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年4月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命保険株式会社に社名を変更。2012年、上場。社長、会長を10年務めた後、2018年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。おもな著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎新書)、『人類5000年史I・II』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇、中世篇』(文藝春秋)など多数。

――出口さんは、いつから哲学に興味を持ったのですか? 哲学書を読むようになったきっかけは?

出口:哲学書を本格的に読みはじめたのは、大学に入ってからです。きっかけは、都会出身のクラスメートに刺激されたからです。
東京や大阪出身のクラスメートは、高校時代からマルクスやレーニンに親しんでいて、大学の民主化や社会主義革命などについて堂々と自分の考えを述べていたのに、僕は何ひとつ意見を言うことができなかったのです。

僕は物心ついたときから本の虫でした。小学生から高校生にかけて、学校の図書室にある本はほとんどすべて読んだと思います。でも、田舎の学校の図書室には、マルクスもレーニンもなかったんです。

「ひょっとしたら自分は遅れているのかもしれない」「話題についていけないのは、カッコ悪い!」。そう思って、哲学書を読みふけるようになりました。
僕は全共闘世代で、大学では校舎が占拠されていて授業がなかったのです。だから1日15時間くらい本を読んでいました。議論をしたくなったら、友だちの下宿に行って、「こんな本に、こんなこと書いてあったけれど、おまえ、どう思う?」と議論を吹っかけていましたね(笑)。

――最初に読んだ哲学の本を覚えていますか?

出口:最初に手に取ったのは、マルクスの『経済学・哲学草稿』(城塚登・田中吉六訳、岩波文庫)ですね。
その後、ヘーゲルに手が伸び、カントに至り、最終的にはプラトンに行き着きました。
折しも中央公論社の『世界の名著』が刊行されていた時期でした。『世界の名著』『岩波講座「哲学」』(第2次、全18巻)や岩波文庫には、本当にお世話になりました。

――8月8日発売の新刊『哲学と宗教全史』は、出口さんが学生時代に学んだ哲学や宗教の歴史をまとめたものですが、これほど体系化された知識を芋づる式でアウトプットできる人はめずらしいと思うのです。
参考文献を読み返さなくても、即座に、大量の知識をアウトプットできる理由を教えていただけますか?

出口:理由は2つあって、ひとつは、物語として覚えているからです。
本をたくさん読んでいると、お互いのつながりが見えてきて、「こういう形になっているのか」とわかってきます。
たとえば、北魏(ほくぎ)に関する本の中に、「北魏の時代は女性も商売をしていて、町中で男性と言い合うこともあった」という記述を見つけたりすると、ほかの知識とつながって忘れなくなるのです。
「北魏の女性は強かったんだな。女性も仕事をするという伝統があったからこそ、武則天(ぶそくてん)のような女傑が生まれたんだな。ほかにも、馮太后(ふうたいこう)というすごい女性もいたな。馮太后は孝文帝の実母ともいわれてるので、時代は400年代後半だな」と、北魏の商売人の女性と、武則天と、馮太后が頭の中でリンクするのです。

――もうひとつの理由は?

出口:自分で咀嚼(そしゃく)しながら、腹落ちするまで本を読み込むからです。
僕は一言一句丁寧になぞって、精読します。僕は1冊を完全に消化するまで読み込むタイプなので、途中でわからなくなれば、数ページ戻って読み直します。
自分の言葉で「この本には、こんなことが書いてあった」「この著者の主張は、こうである」と総括できなければ「理解した」とは言えないと思っているので、理解できるまで読み込みます。知識が腹落ちしていれば、頭からサッと抜け落ちることはありません。