営業収益100億円に必要な
経営のスピード感、B to C企業の知見

 1993年に産声をあげたJリーグは、どちらかといえば各クラブが共存共栄を目指してきた。しかし、DAZNとの契約を境に、アントラーズの鈴木常務取締役をして「勝ち組と負け組が分かれる」と言わしめる、巨額な放映権料を原資とする賞金を争う、熾烈な競争の時代へと大きく形を変えた。

 そして、親会社の支援を必要としないほど、強固な経営力を備えたアントラーズは現状に満足することなく、営業収益をJリーグの歴史上で初めてとなる100億円の大台に乗せていく青写真を描いた。

 構想を具現化していくためには、補強面を含めてさらに積極的な先行投資が必要となる。しかし、鉄鋼業界最大手の日本製鉄株式会社(本社・東京都千代田区)及びその子会社を筆頭株主としていたアントラーズは、経営のスピード感という面で大きな問題に直面する。庄野社長が言う。

「鉄鋼業界は安定しているといわれても、例えば投資となると鉄鋼業界のルールの中で、となる。金額が1億円を超えれば本社決済が必要となるとか、そんな(悠長な)ことを言っていたら、その間に(他のチームは)みんな三歩先に行ってしまう」

 アントラーズの歴史は終戦直後に幕を開ける。1947年に創部された住友金属蹴球同好会は1956年に住友金属工業蹴球団へ改称され、1973年にJリーグの前身である日本サッカーリーグの2部へ昇格。2年後の1975年には本拠地を大阪市から、鹿島製鉄所のある茨城県鹿島町へ移転させた。

 時代が平成に入り、日本サッカー界に訪れたプロ化の波の中で、住友金属工業蹴球団は元ブラジル代表の神様ジーコを現役復帰させて世界を驚かせる。さらにチーム強化と同時に、日本サッカー界で初めてとなる屋根付きの専用スタジアム、県立カシマサッカースタジアムを実現させる。

 地域と一体化して99.9999%不可能とされた苦境からJリーグのオリジナル10に滑り込み、名称も鹿島アントラーズに変えた。2000シーズンの史上初の国内三大タイトル制覇や、2007シーズンから達成した前人未踏のリーグ戦3連覇を含めて、栄光の歴史は改めて説明する必要もないだろう。

 一方で筆頭株主となる親会社は2012年10月、住友金属工業が新日本製鐵(現日本製鉄)と合併したことで大きなターニングポイントを迎える。鹿島アントラーズ・エフ・シーも400を数える新日本製鐵の子会社のひとつとなり、なかなか意見が反映されない状況が訪れた。