米国民が自信を失っている? 世界のリバランスに日本がどう立ち振る舞うべきか、東アジア研究の権威であるハーバード大学のエズラ・F・ヴォーゲル名誉教授がいま日本人に伝えたいことを語り尽くしていただいた新刊『リバランス 米中衝突に日本はどう対するか』。発売を記念して中身を一部ご紹介いたします。聞き手は、香港大学兼任准教授の加藤嘉一さんです。

Question
中国の台頭など外部環境が変化していくなかで、米国の国内状況をどのようにとらえられていますか。特に、習近平国家主席が「中国の夢」を掲げ、2013年、カリフォルニア州にあるサニーランドでバラク・オバマ前大統領(1961~)と行われた会談にて、「中国の夢」はアメリカンドリームと相通じている、とまで言いました。一人の米国民として、アメリカンドリームのあり方の変遷をどうご覧になりますか。

ヴォーゲル教授 アメリカンドリームは、私が幼い頃から追い求め、養ってきたものだ。

 だが最近、多くの米国人は祖国に対して失望している。アメリカンドリームは失敗した、と私は思っている。米国も失敗した、と思っている。

 すべての国民ではないにせよ、多くの国民はアメリカンドリームがすでに「夢物語」に終わってしまったと落胆しているように見える。多くの国民にはよい仕事がない。現状に不満を覚え、未来を不安に思っている。中国経済が米国経済を追い抜くだろう、と怯えている。

 私たち米国は、イラクやシリアで重大な過ちを犯してしまった。米国経済はこれまで、常に世界ナンバーワンであったが、それを維持することは難しそうだ。これまでは米国だけにできたことを、今となっては多くの国家もできるようになっている。米国の地位は下がってしまった。国民は自信を失い、祖国に失望する、という負の連鎖が起きている。

 過去も現在も、夢というのははっきりとした、楽観的なものであるべきだ。しかし現在、私たちは本来持っていたドリームを実現し、維持することが難しくなっていると感じている。

 なぜなら、未来が不透明だからだ。今日の米国には夢がない国民がたくさんいる。このような状況下で、一部の人間は軍隊に依拠して中国に対して「我々はあなた方よりも強く大きい。やれるものならやってみろ」と自分を誇示するやり方を提唱しているし、そういう対応法が歓迎されたりする。私はこういうやり方は適切ではないと考える。

 米国の軍隊における予算は多すぎる。財政赤字もバカにならない。今日の米国に、新しく実現可能なドリームを国民や社会に訴えることができる優れたリーダーがいないことは誠に残念である。

Q. 米国が再び国際社会で輝くために、失ったドリームを取り戻すためにはどのようなビジョンを持って、どのような行動を取っていくべきだとお考えですか。また、国家の盛衰を考える場合、まずは国内問題をしっかりと解決したうえで力強い外交を行っていく、というのがセオリーだと思うのですが、先生は米国内に内在する諸問題をどうご覧になっていますか。

ヴォーゲル教授 第二次世界大戦後、英国は植民地を失い、そのなかで国内外の事業も規模縮小を余儀なくされた。当時の英国も辛かっただろうが、それは仕方のないことだ。それと同じ道を、現在、米国も歩んでいる。

 第二次世界大戦後、私たちは世界を引っ張ってきた。今となってはその地位を失いつつある。今日の米国は、米国と世界各国の実質的状況を全面的に考慮したうえで、独りよがりではない新たなドリームを考え、訴えなければならない。

 今日の米国には貿易不均衡問題、移民問題など問題が山積みである。一人の社会学者として、これらの問題が、米国人がドリームを追求し、実現する過程で及ぼす影響は相当大きい、と認めざるを得ない。したがって、私たちには新しいドリームが、私たちの能力や身の丈に見合ったドリームが必要だ。

 そして、私から見て、これらのドリームとは、中国、日本など外国・国際社会との良好で健全な協力関係を築いたうえで、初めて成り立つものだ。健全で開かれた国際主義が、アメリカンドリームの再構築には求められているし、それが不可欠である。

 米国は主体的に、前向きに、世界におけるみずからの地位を下げる覚悟を持ち、示すべきだ。そして、戦争は過ちであり、間違った手段なのだということを認め、覚えておかなくてはならない。私たちが以前、イラクやシリアで行った戦争は間違いだったのだ。私たちにはその能力がなかった。そもそも戦争や武力行使という手段を使って他国、他地域を効率的かつ安定的に管理しようという発想自体に、無理と限界があったということである。ベトナム戦争の場合も同じである。

 米国による数々の失敗を経て、私は思うことがある。大統領が選挙によって選ばれる民主主義国家である米国において、軍事力ですべてを解決できると奢り、体制や民族の異なる他国や他地域の平和や繁栄を担保できるという「軍国主義」的発想が蔓延し、民衆がそれに扇動され、それを支持するようになる事態はとても危険である。戦争を二度と繰り返さないために、米国はみずからの政策を変える努力をしなければならない。

 実際は、現在に至るまで、私たちはみずからの能力に適した新しいドリームを見つけられていない。それを実現するための、適切で及第点に達するリーダーもいない。彼らは、選挙キャンペーン中には、米国はこうあるべきだと強調するけれども、それがアメリカンドリームの再構築につながっていない。

 ただこのような厳しい現状を前にしていたとしても、私たちは理想を放棄してはならない。アメリカンドリームという理想である。

 私は最近、移民問題に注目している。なぜなら、移民によって建国され、発展してきた米国にとって、移民をどう扱い、活かすかという問題はアメリカンドリームの根幹に関わるからである。私が祖国の繁栄という観点から移民問題に関心を示し、再考するきっかけになったのはやはり英国でブレグジットが発生したことである。実際に英国だけではない、移民の受け入れに積極的だったドイツでさえ社会的反発が起きている。移民問題はもはや世界全体の問題、国境を超えて世界の平和と繁栄に関わる問題である。

 あまりに多くの移民を受け入れることはできない。米国も、世界各国にとってもそうだ。すべての国家は自国がどれだけの移民を受け入れられるのかを慎重に考慮し、決定すべきだ。私は多すぎてはいけないと思っている。欧州連合からの離脱を選択した英国、そしてドイツの人々は移民が多すぎると感じている。

 このような現状を正視するとき、今となっては、日本の移民政策は比較的適切で、身の丈に合ったものであったと評価できる。今後日本の高齢化現象はいっそう進行し、労働力不足に悩むだろうが、移民は一定の人数に制御すべきだ、というのが私の考えである。

 私の観察によれば、日本が労働力を持続的に確保していくうえで重視すべきは“高齢者の活用”である。日本でも長寿に伴い退職の時期が延びてきたが、毎年日本を訪れるたびに、タクシー運転手など70歳以上になっても頑張って働いている人々を目にする。実際に何歳まで働いてもらうかは個人差があるだろうし、政府も慎重にルールを調整していくのだろうが、元気に長生きする高齢者たちにいかに生き生きと働いてもらえるかが、日本が超高齢社会を生き抜くうえで重要な要素だと考えている。

 移民立国である私たち米国も、受け入れにある程度の上限を設けるべきだ。今後、移民をある程度制限するという流れは止まらないだろう。そもそも、移民立国と言っても、建国当初から米国の移民政策は矛盾を内包していた。たとえば1924年、米国は日本人を含めた移民を制限する移民法を施行している。現在と状況は異なるが、白人と黒人間の人種的偏見、アジア系やヒスパニック系人種の割合が増えている趨勢において、特にトランプのような大統領が出てくるなかで、米国が移民政策において抱えてきた矛盾がいつどのようにして表面化するとも限らないと私は見ている。