習近平が恐れる「ゴルバチョフ現象」を中国は乗り越えられるか。世界のリバランスに日本がどう立ち振る舞うべきか、東アジア研究の権威であるハーバード大学のエズラ・F・ヴォーゲル名誉教授がいま日本人に伝えたいことを語り尽くしていただいた新刊『リバランス 米中衝突に日本はどう対するか』。発売を記念して中身を一部ご紹介いたします。聞き手は、香港大学兼任准教授の加藤嘉一さんです。

Question
仮に今、習近平に何らか提言する機会を得たとして、先生は何を伝えますか。まずは外交政策に関して、いかがでしょうか。

ヴォーゲル教授 単刀直入に、米国、オーストラリア、欧州、日本などとの関係を、もう少し良好に維持すべきだ、と提言するだろう。たとえば知的財産権の問題に関して、中国はもう少し謙虚に外国政府や企業の考え方に耳を傾けたほうがよい。西側先進諸国からの要求、特に公平な要求に対して、中国はみずから進んで耳を傾けるべきだ。そして、妥協することを覚えるべきだ。

 「公平性」に関して、少し言い添えたい。
 特に米国人は、公平さを非常に重んじる。我々がそれをどれだけ重んじているかを、中国人は理解していないようだ。たとえば、フットボールや野球の試合において、勝った相手を「おめでとう」と潔く祝福する。ただ仮に、あるチームがズルをして勝利したとしよう。それは公平ではないから、相手チームはものすごく怒るし、観客や世論も批判や罵声を浴びせるであろう。これが米国人の性格だ。

 最近の中国を見ていて、我々の目から見ると不公平な面が多々あると言わざるを得ない。たとえば、中国企業は米国で法さえ守れば自由にビジネスができるが、米国企業が中国に行くとあらゆる面で行動を抑えられてしまう。学問の分野でもそうだ。中国人がハーバードへ来れば、図書館で資料を調べたり、我々と議論をしたり、シンポジウムで意見を発表したり、自由に行動できる。一方で、我々が向こうへ行くと、これが言えない、この人には会えない、取材や面会が理不尽に制限される、突然キャンセルされるなどの抑圧を受ける。それは不公平だ、というのが米国人の主張である。中国人はこの点をもっと理解し、米国人の性格を鑑みるべきだ。

 ワシントンの反応はいきすぎた面もあると思うが、不公平さにまつわる中国への反感が、以前よりずっと高まっているのは事実である。中国が経済発展する以前、競争力がなかった時代であれば、米国人が多少文句を言っても、大した問題にはならなかった。政府内のことは直接にはよくわからないけれども、少なくとも大学の世界ではそうだった。今、中国は強くなったぶん、以前から内包してきた問題が露見しているのだ。

 現在、国家安全保障会議(NSC)で中国問題を担当しているマット・ポッティンジャーアジア上級部長は一つの例であろう。私も彼のことをよく知っているが、中国の諸事情や問題をしっかり理解していると評価している。彼は海兵隊を経て、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者として中国に駐在していた。その間、彼は中国当局から数日拘束された。そんな彼が、中国に対していい印象をもつことは非常に難しい。同じような経験を持つ新聞記者は、米国に多い。自由に情報を集めようとしても抑えられる。中国は常に「これはやってはいけない」という姿勢で抑えようとする。不当に扱われた外国人で、中国に対して不信感を持つ人間が増えてきているということだ。

 今の中国を見ていると、私は日本の1930年代末をも思い出す。軍の力がどんどん増大し、気が大きくなり、ほかの国がどう考えているかに十分に思いをめぐらせない。今の中国が、まさにそうだ。国内で希望を持っていろいろなことをやってみたい、強くなるのだと宣伝する。ただし、ほかの国の反応を、十分に考えていない。

 典型的な一つの例が、南シナ海問題である。中国は一方的に、みずからの主権と領土の範囲内だと主張して、新しい潜水艦を派遣し、人工島を造成し、あらゆる軍事・民用設備を着々と造っている。そういう行為を外国企業や市民がどのように受け止めるかという部分への配慮や謙虚さに欠けている。現在のやり方は強硬すぎるし、傲慢にすぎる。経済だけでなく、軍隊も強化し、米国の経済に追いつけ、追い越せという時代になっている。そういうなかで、米国としてはインド、日本、オーストラリアと協力する必要があるという姿勢になっていくのだ。

 残念ながら、トランプ大統領は外国とうまく協力する男ではない。米国の利己主義が助長されている。けれども、中国と多少なりとも協力する必要があることも理解している。中国の国力が非常に強いから、日本もやはり米国と同盟で協力しなくてはならない、となる。オーストラリアは、さらに複雑だ。米国と協力するけれども、オーストラリア国内で中国と協力しようとする気持ちは米国よりも強い。中国の経済の力、たとえば石炭のディールなどに魅力を感じる。オーストラリア経済に占める中国の力はかなり大きく、中華系人口もずいぶん増えている。

 米国やラテンアメリカとの関係に関して、中国は全体的に上手にマネージしているように見える。だが、やはり強硬的すぎるのと、現地の事情をきっちり考慮しなかったり、現地社会のキャパシティービルディングを軽視したりという状況も見られる。特に、環境と労使への配慮、そして現地政府の財政的能力への見積もりが足りないようだ。「政治的条件を与えない」の一点張りで巨額の借款を与え、結果的に相手国が期限までに返済できずデフォルト(債務不履行)に陥ってしまえば、本末転倒と言える。

 もちろん、中国が途上国、新興国との間に抱える問題は、先進国とのそれほど大きくはない。最大の問題はやはり米国、欧州、日本との関係だ。最も重要な点は中国が経済政策や安全保障政策を含めて、妥協することを学ぶ必要があるという点で、さもないと西側諸国との関係をうまく処理できないだろう。そうなれば、習近平がスローガンとして掲げる「中国の夢」も実現が難しくなる、というのが私の基本的な見解である。

Q. それでは次に、内政に関してどんな提言をされますか。「中国の夢」は中華民族の偉大なる復興と定義され、習近平が総書記就任後大々的にプロパガンダされているものです。イデオロギーとして国内を思想統一し、外の世界と付き合うなかで人民のナショナリズムを喚起し、中国共産党としての正統性を確固たるものにしたいという内政的考慮が色濃く出ているように見受けられます。

ヴォーゲル教授 最も言いたいことは、環境全体、特に政治的環境を緩和させるべきだ、という点だ。私は中国の指導者、特に習近平が「ゴルバチョフ現象」の発生を懸念していることに理解を示している。

 習近平は、ゴルバチョフ(1931~)のように急進的な自由化を推し進める過程で、政権の求心力が低下し、結果的に統治不能に陥ってしまうリスクをかなり意識し、警戒している(注:一般には、急進改革派が急速に台頭して国民の支持を得た旧ソ連末期の動きを「エリツィン現象」と呼ぶが、中国では逆の転覆された体制の立場から見て「ゴルバチョフ現象」と言われる)。いったん、上から下へのコントロールを緩め、リラックスさせてしまえば、管理できなくなってしまう。極度に緩和しすぎると、国家としての統治が利かなくなり、取り返しのつかない失敗をしてしまう。習近平はゴルバチョフの経験を肝に銘じている、と私は信じている。

 しかも、中国国内には官民問わず、ゴルバチョフが急激に自由化を推し進め、結果的にソ連を崩壊に追いやった“黒幕”は米国である、ソ連が崩壊するように米国が裏で糸を引いていたという陰謀論を口にする人間が少なくない。習近平の「ゴルバチョフ現象」への警戒は、中国国内において一定程度の支持層を擁しているのだ。

 ただし、今のままでは問題である。緊張と圧力が行きすぎていて反発が心配だ。だからもう少し社会や民衆に自由を与えていかないといけない。知識人たちにもある程度自由に話をさせ、自由にものを書かせるべきだ。2018年の夏、私は欧州や旧ソ連国家を旅行する道中、結果的にソ連崩壊を招くことになった政策を実行したゴルバチョフの経験が中国にとって何を意味しているのか、どんな教訓があるのかを考えていた。

 ゴルバチョフの教訓とは、締めつけを強化することではない。緩和策にも慎重に取り組むべきだ、というのが同じ轍を踏まないための教訓である。ゴルバチョフがやったような急進的な自由化はすべきではない。漸進的に、順を追って少しずつ緩和させていくべきだ。速度や程度には微調整や弾力性があっていい。一歩ずつ、順を追って前進すればいい。ただ方向性は逆行すべきではないのだ。

 実際にどうなるのかはわからないが、今のこれほど締めつけが強く、抑えられた状況がずっと続くとは思わない。現状も文化大革命ほど悪くないけれども、この状況が続けば反発も激しくなり、社会として持たなくなる。昨今の政治情勢を眺めながら、私はやはりトウ小平のことをいつも考えている。あと胡耀邦のことも。

 中国政治が転換期にあるときには、政治力を持つ大物が役割を果たしていた。その典型が、葉剣英(1897~1986)だ。毛沢東時代が終わり、トウ小平時代に入り、改革開放を推し進めていく転換期において、彼が大物として、みずからの考えを持ち、力を振るっていた。そして、今の習近平にもそういう政治をよく知り、力もあり、国の将来のことを冷静に考えられる大物が必要だ、というのが私の考えだ。今の中国も、ある意味で転換期にあるのだから。