もちろん、メディアは事件性が高い出来事を報道するものであり、衝突ばかりが報道されるのは「そういうものだ」といえるかもしれない。しかし、うがった見方をすれば、香港政府・中国共産党に有利な報道ばかりが拡散しているといえなくもない。

 いずれにせよ、現代はありとあらゆるところでフェイクニュースが拡散し、何が真実で何が嘘なのか分からなくなってしまっている。そして、「国際情報戦」は世界中で激しさを増している(第219回)。「真面目にやっていれば、きっと理解してもらえる」という考えは正論だが、それだけでは生き残ることが難しい時代だと、痛感させられる。

香港のデモは「民主化の闘い」ではなく
何か「新しいもの」の萌芽ではないか

 この連載では、中国共産党が香港の若者のデモに対して、手も足も出せない状況について、「権威主義体制」の限界があることを指摘した(第220回)。権威主義体制は、指導者・指導する党が「絶対に間違えることがない」という無謬性を前提とした統治である。

 だから、自由民主主義であれば当たり前である、国民との話し合いによる「妥協」が無謬性を否定する「敗北」を意味してしまい、「権威」を崩壊させてしまう。話し合いの場をつくること自体が絶対に許されないことなので、一度「自由」を知ってしまった人たちが行動を始めると、それを抑えるすべを持っていない。

 そうかといって、暴力で抑え込むことも簡単にはできない。世界中から厳しい視線が注がれる「グローバルな時代」に暴力を行使すれば、経済制裁などを受けて権威主義体制は致命的な打撃を受けるだろう。手も足も出せないのだ。

 権威主義体制は間違いなく「時代遅れ」なものになっている。筆者は、自由民主主義体制の優位性を主張してきた(第198回)。だが、それも正しくはないのではないかと思い始めている。今、香港で起こっていることは、「民主化の闘い」ではないのではないだろうか。