だが、仕事を一人前にこなせるようになってくると、今度はその仕事そのものの意味が問われることになるわけだ。

 仕事に意味が感じられれば、その仕事に習熟するためのこれまでの努力にも意味が出てくる。だが、仕事に意味を感じることができないと、「これまで必死に頑張ってきたのは何のためだったんだろう」といった思いに駆られ、すべてが空しく思えてくる。

ドストエフスキーが語った
「無意味感」の本質

 監獄で4年間を過ごしたことのある文豪・ドストエフスキーは、獄中体験をもとに、次のようなことを述べている。

「わたしはふとこんなことを思ったことがあった。つまり、もっとも凶悪な犯人でもふるえあがり、それを聞いただけでぞっとするような、おそろしい刑罰をくわえて、二度と立上れぬようにおしつぶしてやろうと思ったら、労働を徹底的に無益で無意味なものにしさえすれば、それでよい。」(ドストエフスキー/工藤清一郎訳/「死の家の記録」『ドストエフスキー全集5』/新潮社)

「例えば、水を一つの桶から他の桶へ移し、またそれをもとの桶にもどす」とか
「土の山を一つの場所から他の場所へ移し、またそれをもとへもどすとかいう作業」

 そんな作業を毎日させられたら、いったいどんな気持ちになるだろうか。日々の仕事生活に意味を感じられないというのは、まさにそうした境遇に置かれているのと同じだ。

 どんなに仕事が忙しくて大変であっても、その仕事に意味を感じることができれば、人はその重荷に耐えることができる。

 能力が足りなくて仕事がうまくできないというわけではないのに、仕事生活に行き詰まって、前向きになれないという人の話を聞いていると、その悩みの中核にあるのが「無意味感」であることが多い。日々の生活に意味が感じられないのだ。