現在の生活保護基準の決定方法は「水準均衡方式」と呼ばれており、1984年に採用されて現在に至っている。この方式は、一般低所得世帯の消費と生活保護世帯の消費を比較して、生活保護基準を定める。比較はあくまで、消費と消費の間で行う。物価そのものを参照する方式ではない。そこに物価を含めると、「それでは何をやったのかわからないので、反対しました」(岩田氏)。

 そもそも消費実態には、ある程度、物価が反映されている。値上がりすれば買い控え、値下がりすれば抵抗なく買う。そこに物価の変動を加えて生活保護基準を決定すると、物価の効果が過大になってしまう。岩田氏はこれを「二重評価」とし、2013年にそういう方法で引き下げが決定されたことについて、「たぶん高度な政治判断と推察しています」と証言した。

 この他、一連の訴訟で国が基準部会について行ってきた主張について、岩田氏の尋問への応答には、「そのような説明は受けていない」「そのようなことは言っていない」「そのような事実はない」という内容が連続した。厚労省にとって、学術研究や学識経験者とは、いったい何なのだろうか。

もし原告が勝訴すると
国は3000億円以上を負担

 もっとも厚労省は、岩田氏ら専門家を痛めつける目的で、そういう扱いをしているわけではない。厚労省には、財務省の財政審が毎年発表する方針を実行することが求められている。財政審に「生活保護は削減」と言われれば、そうせざるを得ない。削減幅を少し小さくすることが、現状では厚労省の精一杯の抵抗だ。財政審も、悪意をもって生活保護を削減しようとしているのではなく、国家財政のために「良かれ」と考えているはずだ。そうであろうと信じたい。

 岩田氏は、「財政を疎かにせよとは思いませんが」と述べつつ、辞めてから過去を振り返っての「忸怩たる思い」とともに、政府に「利用されたのかもしれない」という感慨を語り、証言を結んだ。禁止されているはずの拍手が、傍聴席から法廷内に鳴り響いた。

 国側の反対尋問は、私から見ると、まことに冴えないものだった。この日の午後、厚労省のいう「デフレ」の嘘を徹底的に明らかにした白井氏に対するものを含め、「なぜ、そんなことを?」という質問ばかりだった。