毎日使ってはいても
どうも苦手な電子メール

 先日、突如パソコンのメールソフトから直近3ヵ月のメールが消えてしまうトラブルに見舞われました。幸運にもバックアップファイルが残っていたので、最終的には事なきを得たのですが、その中には返事を出さなければならないいくつかの大事なビジネス関連のメールもあり、一瞬頭の中が真っ白になりました。

 同時に、自分がいかにメールというツールに大切な人とのコミュニケーションの多くを依存しているかに、改めて気付かされました。

 恐らく読者の皆さんのコミュニケーション手段も、以前は電話やファックスだったものが、今はメール、ソーシャルメディアのダイレクトメール、もしくはスマートフォンや携帯のメールなどが主流ではないかと思います。

 デジタルのメールは電話とは異なり、相手の都合をあまり気にせずいつでも送ることができるので、とても便利です。でも、私は個人的にメールがあまり好きではないので、なるべく相手と直接会うこと、少なくとも電話で話すことを心掛けています。

 なぜなら、メールは言ってしまえば“バーチャルデータのやり取り”なので、内容のニュアンスを誤解されやすい、危うい側面もあるように思います。

 人と直接会って話をするというのは、相手が話している内容を確認することだけが目的ではありません。非常に重要なのは、声のトーンや抑揚、話している表情など、話の内容以外にも、視覚や聴覚から入ってくる「相手の感情」という情報を受け取ることです。

 そこにはリアルなコミュニケーションでしか伝わらないコンテクスト(文脈)があるのです。電子メールによるコミュニケーションだけでは、それらのかなりの部分が抜け落ちてしまいます。用件だけのメールのやり取りの末、相手に自分の意図とはまったく違うイメージを認識されてしまい、戸惑った経験のある方も多いことでしょう。

 直接会話すれば伝えられるはずの微妙な言葉のニュアンスが、メールだとダイレクトになり過ぎたり、逆にうまく届かなかったりするので、私はどうもメールが苦手なのです。しばしば、ソーシャルメディアが炎上するのも、相手の顔が直接見えないネット上では人格が極端にエキセントリックになってしまうことが理由なのかもしれません。