ヨネックス創業者・米山稔さん
ヨネックスオープン2015に登場した米山稔さん Photo:YUTAKA/AFLO SPORT

 ヨネックス創業者・米山稔氏が11月11日午前10時12分、老衰のため新潟県内の病院で95歳の天寿を全うされた。

 改めて説明するまでもなく、ヨネックスは世界のバドミントン界で圧倒的な支持とシェアを誇っている。他の競技を見回しても、トップ選手の9割前後が同じメーカーの道具を愛用しているスポーツなど、バドミントンほど競技人口の多い競技では思いつかない。

 バドミントン・ラケットを米山製作所で作り始めたのが1958年。最初はサンバタという当時大手メーカーの下請けだった。サンバタの倒産を機に自社ブランドで販売を始めたのが1961年。やがてヨネックスとブランド名を改め、海外での支持を広げる。これら発展の過程で、開発から営業、広報まですべて先頭に立って走ったのが米山稔氏だった。

 自社のラケットを世界中の選手に使ってもらうにはどうしたらいいか? 世界戦略を展望し、「頂上作戦」を考え出したのも稔氏だ。いまなら当たり前のプロモーションだが、当時はまだ珍しかった。

「世界最高プレーヤーにヨネックスを」
諦めない交渉でキング夫人とも契約へ

 インドネシアの大会を視察したとき、ルディー・ハルトノという高校生選手の才気あふれる試合ぶりに心を魅かれた。後にハルトノが来日したとき、稔氏はすぐラケットを持ってハルトノに会い、専属契約を申し入れた。しかし、他の有名メーカーとの契約が決まっていたため、叶わなかった。

 それでも、稔氏はあきらめなかった。機会あるごとに「木製ラケットが好きだ」というハルトノの要望に合わせ、改良したラケットを届け続けた。数年後、ついにハルトノは稔氏の誠意と高品質のラケットに心を動かされ、ヨネックスと契約した。

 すでに世界のレジェンドになっていたハルトノは、ヨネックスのラケットで全英オープン選手権6連覇、7連覇を果たす。王者ハルトノが選んだヨネックスの評判は勢いを増した。

 こうした実績が実を結び、自社ブランド販売開始から10年後の1971年、ヨネックスは世界一の販売量を誇るバドミントン・ラケット・メーカーとなった。