吉田さんは「体力が足りない」と思い、「慣れなくては」と思う。とにかく、やっと見つけた今の仕事で「なんとかがんばろう」という気持ちはある。働けることのありがたさは痛感している。でも、迷っている。「辞めた方がいいんだろうか?」と。

 生活保護からは、脱出したい。ときどき、過去に経験のある自動車工場の期間派遣時代を思い出す。給料は良かったし、生活コストはそれほど必要ない。「また、戻ろうか?」とも思う。けれども、具体的に戻れる見通しがあるわけではない。戻れたとして、向こう何年続けられるかは分からない。

 先の見通し? そんなことは考えられない。先のことを考える余裕なんか、ない。向こう1年~2年を生き延びることを考えるだけで、精一杯だ。

不安定就労を繰り返すしかなかった青年時代

吉田さんの持っている服は、このハンガーにかかっているものと、小さな衣装ボックス1つに入っている分で全部だ。バザーなどで中古衣料を安く購入している。
Photo by Yoshiko Miwa

 吉田さんは、1969年に関東で生まれた。父はサラリーマン。パートで家計を助ける母との間に、男児が2人。吉田さんと、2歳上の兄だ。典型的なサラリーマン家庭であった。現在は、家族と連絡を取り合うことは、ほとんどない。「連絡がないので健在と思う」そうだ。

 高校3年生の時、吉田さんは高校を中退してしまった。実家の居心地が悪いと感じられるようになり、18歳になると同時に住み込みの仕事を探した。最初の仕事は、寮のある居酒屋の皿洗いだった。

 その後、20代で塗装工となるが、吉田さんが25歳の時、1991年のバブル崩壊が発生する。建築・建設業周辺では、仕事を続けることも見つけることも困難になった。

吉田さんは、バザーなどで1個数十円のサングラスを買い、その日の気分に合わせてかける。ささやかなおしゃれだ。
Photo by Yoshiko Miwa

 30代の吉田さんは、さまざまな仕事を転々とする。まず、配送会社でアルバイトの仕事を見つけた。運転免許を持っていない吉田さんの仕事は、仕分け・トラックの積み下ろしなどである。その後は5年間ほど、自動車工場の期間派遣で、3ヵ月・6ヵ月の契約を繰り返しながら働いていた。「とにかく、給料がよかった」という。月給は30万円。

 自動車工場で仕事を見つけるのが難しくなると、個室ビデオDVD店の店員となった。その後は、ネットカフェに宿泊し、日雇いアルバイトを繰り返す。しかし、仕事が見つかるとは限らない。その日暮らせるかどうかも心もとない日が続いた。「とりあえず働かないと食べられないから」、仕事を選ぶ余裕もなく、見つかった仕事に従事して報酬を得た。2008年のリーマンショック、2008年末の「派遣切り」の時期には、建築現場の掃除・片付けの仕事についていた。

 そうこうするうちに、栃木県の山間部の山荘の清掃・片付けの仕事を見つけた。住み込みで、正社員待遇である。働き始めて数ヵ月後のある日、山荘周辺を散歩していて脚をくじいた。脚はなかなか治らない。仕事を辞めて、東京都内のネットカフェに戻るしかなかった。