がん治療の現場で、水戸黄門の印籠のように絶対のパワーを持っている「エビデンス」。がんの標準治療(手術、抗がん剤、放射線)はエビデンスがあるとされるが、それ以外は「怪しい治療」だと十把一絡げに否定されがちだ。しかし、標準治療では効果が出ない患者も少なからず存在する。海外ではがんゲノム医療や免疫療法など、新しい治療法が次々に試されているのに、日本の医療界は「エビデンス原理主義」に凝り固まり、患者を追い詰めているのが現状だ。(ノンフィクションライター 窪田順生)

ビジネスでも定着
「エビデンス」重視の風潮

医師の診察シーン新しい治療はすべて「エビデンスがない」と一蹴する医師が多い日本のがん治療の現場。これで本当にいいのだろうか?(写真はイメージです) Photo:PIXTA

「明日の商談でちゃんとエビデンス取っとけよ」「そこまで言うのならエビデンスを示せ」

 なんて言葉が皆さんの職場でも当たり前のように使われていることだろう。昭和のサラリーマンはピンとこないだろうが、主に「証拠・根拠」の意で使われる「エビデンス」は、今やすっかりビジネス用語として定着した。民間よりも2周、3周遅れでアナログな役人の世界でもようやく流行がきたようで、ちょっと前にはこんな報道がされている。

《エビデンスが霞が関変える? 政策に「証拠と論理」 》(日本経済新聞8月16日)

 記事によれば、霞が関のエリートたちの間で近年、「EBPM」(Evidence-Based Policy Making、 証拠に基づく政策立案)という言葉が、女子高生の間におけるタピオカのごとく流行しているらしく、「忖度と調整」がメインの仕事だった官僚の行動様式まで変えるのではないかと期待されているという。

 確かに、こういう一般社会の常識が「霞が関ムラ」にも適用されていけば、「書類は全部シュレッダーにかけたのでわからない」とか「議事録に載ってないし、記憶にもございません」というムラ社会根性丸出しの隠蔽テクも通用しなくなる。しょうもない論戦で国会を空転させないためにも、ぜひ頑張って民間レベルくらいまで「エビデンス」という考え方を定着していただきたい。

 しかし、この「エビデンス」を盲目的にもてはやすのも危険だ。ある世界では、「エビデンス」への信頼が強くなり過ぎた弊害も生まれている。他のどんな世界よりも、個々の事情や要望を考慮しなくてはいけない現場であるにも関わらず、“エビデンス様”に楯突くような不届き者は死んでよし、という頭コチコチの“エビデンス原理主義”が蔓延して、病に苦しむ人を絶望の淵に追いやっているのだ。

 その世界とは、「がん医療」だ。