「桜を見る会」の中止は
驚くような悪手である

 なぜ粘ったのかというと、賛否両論ある中で宮城県PR動画を1人でも多くの人に関心を持ってもらう、ということが当初からの目的だったからだ。7月10日の定例会見で知事はこう述べている。

「リスクを負っても皆さんに見ていただくものをと思いました」

 実はこの少し前、県観光課はドローンで宮城の美しい風景を収めた10分間のPR映像を配信したが、視聴回数はわずか2000件ほどだったのである。公金を費やしたPR映像が、素人ユーチューバーと同じくらいしか視聴されていない。この厳しい現実を受けて、リスクを負ってでも視聴回数を、ということでつくられたのが、あの動画なのだ。

 こういう批判覚悟の取り組みをしているところで、「迅速な撤回と謝罪」などしていたら、すべての苦労が水の泡であることは言うまでもない。

 もちろん、あの動画が素晴らしいとか、性的ではないとか言いたいわけではない。組織のトップがリスクを十分に理解して、それでも得るものがあると決断した施策ならば、どんなに炎上しようが、叩かれようが、継続をしなければ無意味だと申し上げたいだけである。

(3)の「疑惑の追及を受けている場合」については、現在進行形の事案なのでピンときた方も多いことだろう。そう、首相主催の「桜を見る会」だ。

 批判が持ち上がったところで、政府は早々に来春の「桜を見る会」の中止を発表。安倍首相も支出額に増えたことについては、「詳細について承知していなかったが、結果的には望ましいものではなかった」と陳謝した。

 多くの人が指摘しているように、これは危機管理的にはちょっとドン引きしてしまうほどの「悪手」である。疑惑を追及する人たちにとって、炎上中の案件を中止・撤回するということは、「非を認めた」「後ろめたいことがある」と受け止める。

 その結果、疑惑追及の手がさらに激しくなっていくのだ。