思想バリバリで積極的にそれを発信しようとする人は、他者の観察や他者との融和より先に自己主張がくる。自分の立ち位置を他者との関係性でなく、自分を押し出すことで確立している……そんな人たちである。そのこと自体に罪はなく、むしろ芯を通していて格好いい。ロックであり、武士である。

 問題は、発言におけるTPOがまったく考慮されていない点にある。賞のエンターテインメント性を最初からぶち壊すつもりならエンターテインメントを匂わせるのはよろしくない。コメント評者のことだけを指して言っているのではなく、主催者を含めた全体の話である。

 そうした人による、祭りが終わっての閉会の言葉は「お祭り楽しかったですねえ。こんなことがありましたねえ」では済まされない。「お祭り楽しかったですねえ。ま、アベノミクスによる景気もこれくらい盛り上がればいいのだが、さて……」(※表現の方向性は新語・流行語大賞のコメントの雰囲気に準拠)と、余計過ぎるひと言を付け加えないと気が済まないのである。

 楽しかった祭り気分になぜ斯様(かよう)な、水を差すような、暗い気持ちになるような、全てを台無しにするようなことが言えるのか。

 それは、新語・流行語大賞が思想バリバリの人が運営する、お祭りの皮をかぶった政治的主張の発表の場と化しているからである。これは政治的思想の方向性、右派であるか左派であるかとはまったく別の次元の問題である。

 最初から賞にかこつけて政治的主張をするつもりであったなら、賞の名前を『保守派による新語・流行語大賞』や『アベ政権を許さない新語・流行語大賞』など、賞の方向性がパッと見でわかりやすいようにしてくれたらありがたい。

 とはいえ、一番根っこには「新語・流行語大賞」を単なるエンターテインメントと決めつけてかかっていた筆者の浅慮が勘違いの原因である……という事実がある。

 立場を築いている知識人の面々の中にはどのような場所においても自分の思想を示すことを好む人たちがいるのはわかっていたはずなので、「選考委員、あるいは主催者はそうなのかな」と警戒しておけば、そもそも勘違いは生まれなかった。

 最初から勘違いなどしていなければ実は生粋のエンターテインメントではない賞の実態に触れたところで「興ざめだ」などと落胆することもなかったのである。

 いってしまえば無知を誰かのせいにしようとしているのが本稿における筆者であり、これもなかなか格好悪い。いい大人なのだから世間に対して複数の可能性を用意し、考慮しながら相対するべきであったと反省したい。

 最初は“年間大賞”と“トップテン”に選出された語について適当にあれこれ書こうと思い引き受けた企画であったが、調べるうちにいろいろ知らないことを知ることができたのは収穫であった。

 近年は受賞を辞退する人もちらほらいるそうで、それを「ユーキャン新語・流行語大賞」の、上記のようないただけない体質と結び付けて論じるのはいささか乱暴に過ぎるが、“ウィキペディア先生”も「近年では(中略)影響力の低下が指摘されている」と仰っていた。

 外に目を向けずやりたい放題やっている人がやがて没落していくことは歴史が証明しているので、同賞が今後も盤石たるためには軌道の修正が必要であるように感じた。

 本稿は当初の思惑通り筆者のやりたい放題となったが、今後没落しないよう、きちんと外に目を向け、節度あるやりたい放題を心がけ、まい進したい次第である。