由紀さおりが米国のジャズオーケストラ“ピンク・マルティーニ”とコラボレーションしたアルバム『1969』は昨年、世界20ヵ国で発売され大ヒットとなった。iTunesの全米ジャズチャート1位、米国ビルボード誌のジャズチャート5位等々、大ブレイクした。昨年10月17日にはロンドンの『ロイヤル・アルバート・ホール』で開かれたピンク・マルティーニのコンサートにも出演。英国のBBCが中継した映像は、日本のテレビでもニュースとして伝えられた。時ならぬ「由紀さおり」の大ブレイクに、多くの日本人は驚き、そして心を躍らせた。
私もその1人だったが、同時に、抑えがたい疑問がわき上がった。アルバム『1969』は1曲を除き、すべて日本語で歌われている。ピンク・マルティーニがジャズオーケストラだから『1969』は当然のように“ジャズ”に分類されているが、1969年当時の日本の音楽風景を知っている人間が聴けば、誰が聴いてもそのアルバムは“歌謡曲”である。ピンク・マルティーニ風にアレンジされてはいるが、由紀さんが歌っているのは、150万枚の大ヒットとなった自身のデビュー曲『夜明けのスキャット』や石田あゆみさんの『ブルーライトヨコハマ』、黛ジュンさんの『夕月』等々、1969年当時にヒットしていた歌謡曲が大半だ。
つまり「由紀さおり」が「由紀さおり」のまま、突如として世界でブレイクしたのである。
なぜそんなことができたのだろうか。
一般的な解説によれば、ポートランドの古いレコードショップで『夜明けのスキャット』をジャケ買い(ジャケットだけを見て衝動的に買うこと)したピンク・マルティーニのリーダー、トーマス・ローダーデールに見出され、「由紀さおり」は一気にグローバルな存在へと駆け上がったということになっている。シンデレラストーリーだ。
そこで思う。
そんなに調子よく物事が進むことがあるのだろうか。
シュンペーターのイノベーションを
地でいく「由紀さおり」の凄み
「由紀さおり」という歌手を取材対象として調べてみると『1969』成功の背景には、自力で谷底から這い上がってきた「由紀さおり」の凄みが見えてきた。確かにシンデレラストーリーに一脈通じる「運」の良さはある。だが「運」を逃さず掴みとったのは「由紀さおり」自身であった。