例えば、Dさんは、

「1年分の義理が63円で済むとは、なんて安上がりな交際費だろう!」と屈託がない。

 若いときはバックパッカーで世界を回り、今は親の介護で実家暮らし。小さな家族写真と近況報告の手作り年賀状は「女房に逃げられていませんメッセージ」と、「ちゃんと社会人やっていますアピール」をいっきに済ませられるチョー便利グッズだ。

 毎年開催の中学の同窓会では各自もらった年賀状を持ち寄って「あいつ、いまどうしてる?」の欠席者情報の回覧に使う。ヤンチャも無茶もせずに真面目に暮らせているのは、年賀状で近況報告するプレッシャーのおかげだそうだ。

 昭和のころのように、いまだに何百枚という大量の年賀状を出すという人もいる。

 例えば、800枚の年賀状をバラまく小規模経営者のEさんは常に時間に追われているから、めんどうな仕分けなどはしないし、会社名や人名の記憶があやふやでも「取りこぼしをしない」ためにとりあえず出しておく。

 PRを兼ねて、仕事用とファミリー用の2通りの「昨年度ご報告」短文を載せるのだが、「数打ちゃ当たる」で正月明けにはいくつかの商談や子どもの縁談まで飛び込んでくる。

 古い年賀状で亡き人の筆跡を懐かしむのもひそかな楽しみだから、自分の代でのSNS乗り換えはありえないとか。

 正月に帰省する子どもらにも毎年読ませて、両親の親戚や交友関係を知ってもらう好材料にしているという。

「いつか来た道」にあおられず
先延ばしという選択も

「年賀状やめる・やめない」論戦で思い出すのが、かつて社会現象にもなったクロワッサン症候群と断捨離である。

 初めのうちはクロワッサン誌が女性の自立を特集したり、整理整頓を自己啓蒙に利用しただけだったのが、曲解されたり過激化したりして「独身のライフスタイルこそ女性の自立自活を可能にする」とか、「限界まで捨てれば精神修養になる」と独り歩きしていった。

 同調した人たちが婚期を逸して「負け犬」スタンプを押されたり、やりすぎて思い出の品まで捨てまくって家族内トラブルになったりしたケースもある。

 今回もブームにあおられて失うものがないように冷静に考えよう。

 年賀状をやめるのはいつでもできるし、後悔するか寂しければ「復活宣言」もできるはずだ。

 長く薄く積み上げた人間関係でも、壊すときは一瞬である。

 年賀状を出す・出さないはブームに流されて早急に決めるのではなく、いくらでも先延ばしにしてもいい課題だと思う。