科学ノンフィクション的な麻酔についての化学的、科学的な紹介やその歴史についての記述と、麻酔科医として彼がこれまでどのような案件を担当してきたのか。そのたびにどう対処し、どのような難しさがあったのか。そして彼はピンチを切り抜けるたびに、何を学んできたのか──という、麻酔科医の日常がいい具合にブレンドされていて、読み終える頃には麻酔科医の仕事がどれ程大変なものなのかがよくわかるうえに、麻酔科医への強い感謝を覚えているだろう。

“麻酔科医にメディカルスクールで学んだことを忘れる贅沢は許されない。おそらく他のどんな専門医も、麻酔科医ほど基礎科学(解剖学、病理学、生理学、薬理学)および臨床医学の全分野(内科、外科、小児科、産科、場合により精神科)に精通し、他の想定しうるすべての専門分野にかかわる広範囲かつ包括的な知識を維持している者はいないだろう。”

『麻酔管理をしているとき、私は内科医、産婦人科医、そして小児科医になる。』と著者は語るが、事実その通りに麻酔科医は様々な病状の患者に対して必要とされるから、広範な臨床医学の分野に精通していなければ、いざという時の対応ができないのだ。手術の経過において患者の痛みは常に同じではなく、身体は痛みに応じて様々な影響を与えるし、失血による心拍リズムの変動など、状況に応じて患者を適切な状態に戻すのも麻酔科医の仕事なのである。

麻酔科医の苦闘

 本書の中では、そうした様々な状況に対応しなければならない麻酔科医の苦闘が綴られていく。たとえば、印象的だったのは、四歳の男児であるマイケルに対する麻酔処置の記録が語られる第六章「絶飲食」。基本的に、麻酔処置をする場合は胃を空にしていなければならない。

 麻酔は筋肉を弛緩させて反射をなくすから、食道の括約筋が弛緩して胃の内容物が口に逆流し、誤嚥を起こして合併症を誘発させる可能性があるからだ。だが、その時手術前に、マイケルは「シリアルを食べた」といったという。もし本当なら処置を延期すべきだ。だが、彼はいますぐにでも手術を必要としている。「いつ食べたの」など聞いてみても、にやにや笑って何も返答しないから、ウソかもしれない。カルテをみると、食事は出ていない。念の為、担当看護師に電話をかけて、「彼はシリアルを食べていない、配膳もされていない」との確認までとった。

 そのことを本人に問いただし、どこから手に入れたのと聞くと、今度はママにもらったのだという。そこでまた担当看護師に電話をして母親は来ていたかと聞くと、やはり来ていないという。さすがに看護師もいらいらしてきており、結局、信じて手術をすることにするのだが、麻酔が導入されるとマイケルから「ゲプッ」と音がして、お腹がわずかに震えた。本当にシリアルを食べていたのだ。その一瞬の変化に彼は気づき、なんとか口からシリアルを吸い出して、最悪の事態は回避される。が、合併症発生のすれすれだったのは間違いない。