“お花畑”も見えた!?
2度目の発作

 そのあとのことはよく覚えていません(笑)。30分くらい座りこみ、ようやく歩き出したのではないかと思います。電車に乗って、最寄り駅からは歩いて家に帰り着いたはずですが、銀行の縁石から家までは、まったく思い出すことができません。意識はそう簡単になくなるものではありませんが、この時ばかりは意識が低下していたと思います。まるでゾンビのように歩いていたのでしょうが、よく警察のお世話にならなかったものだと思いました。家に着くと、すぐに風呂に入り、寝たようです。

 9月で残暑が厳しいころでしたが、筆者は節電に協力するためエアコンは使用せず、窓を開けて寝ていました。水分をしっかり摂ればよかったのですが、汗が出ると困るので、その日は極力、水分を摂るのを控えました。いま、思い返すと、あの日は尿が濃くなっていましたが、そういうものだろうと、気にしていませんでした。

 そして、一週間後、2度目の発作が起きました。今度は診察室で昼休みになって、食事に出ようとする直前でした。

「また来たか!」あの意識が遠のくほどの苦しみが襲ってくると思い、背筋が凍ったことを覚えています。ただ、救われたとも思いました。なぜなら、今度は院内に薬局があったからです。

「これぞ、役得だ」などと、心のなかで思いつつ、ふらつきながら、薬局にたどり着きました。「ブスコパン」と「ボルタレン」。まるで呪文のように、その名前を頭のなかで繰り返していました。ようやく手にした薬を、落としたりして、なんとも無様な様子だったと思います。

 薬を飲み、その日の昼休みは、そのまま診察室の患者用の丸椅子におなかを押し当て、椅子を抱え込んでいました。しかし、痛みはそう簡単に引いてくれません。昼休みが終わっても、筆者はもはや患者さんを診察できる状態ではありませんでした。ようやく落ち着き始めたのが、1時間30分くらいあとになってからでした。薬を飲んで、発作がおわるまでただひたすら待つだけでした。

 発作の間は……、何かを考えることはありません。呼吸も浅かったでしょう。あのとき、痛みに耐えて目を閉じていたら、それはそれはきれいな“お花畑”が見えてしまいました(笑)。

 もしかして、死に直面すると、このような光景を見るのではなかろうか。そうすると死ぬ瞬間というのは、苦しいというより、無意識で考えることもなく、いま見えている花畑が広がるということか――。

 臨終の方を看取る時に、苦しそうだけど、表情は恍惚としているのは、このような状態に至っているのではないでしょうか。いま思うと、貴重な体験ができたような気がしました。はっと我に返ったとき、気が付けば抱え込んでいた椅子は汗でびっしょりでした。