しかしじつのところ、この「投球フォームの再現性」という考え方に、僕はかなり懐疑的だ。
「練習中に和田投手がシャドーピッチングを繰り返しているのは、投球フォームを何度もチェックしながら固めていき、再現性を高めるためですか?」
以前、ある記者の方からこんな質問を受けたことがある。たしかに僕は、シャドーピッチングにかなりの時間を割いており、投球フォームを何度も何度も繰り返してみるようにしている。その記者はきっと、試合前のこの様子を見ていたのだろう。
だが、その質問に対する僕の答えは、半分「はい」で、半分「いいえ」だ。
シーズン中、試合前の練習で、チーム全体のウォーミングアップが終わると、その日の先発以外のピッチャーたちは、外野へ移動して各々の練習メニューをこなす。ストレッチをしたりキャッチボールをしたりランニングをしたり。先発陣は次回の登板に向けて、ブルペン陣はその日のマウンドに向けて、それぞれ調整を進めていく。
「フォームを再現しよう」と考えていない
その練習のなかで僕が最も大切にしているのがシャドーピッチングだ。
シャドーピッチングをして、投球フォームのチェックをしているのは間違いない。
しかし僕には、「投球フォームの再現性」を高めようという意識がないのである。
僕は自分の投球フォームをいくつかの動作ブロックに分けて認識するようにしている。そのブロックの連続形として、完成した投球フォームが構築されるというわけだ。
各ブロックには、ポイントとなる重要な動作が含まれている。たとえば、左脚で立ち、お尻に体重を乗せるときに、しっかりパワーポジションを取れているか……つまりお尻から脚の付け根の筋肉を使えているか。その体勢からスムーズに前方へ体重移動できているか。
シャドーピッチングをするとき、僕は自分で設定した投球フォームのチェックポイントを確認しているのだ。決して、つねに同じ形で投げられるように「フォーム固め」をしているわけではない。「全体としてのフォーム」ではなく、あくまでも「個々のチェックポイントで決めたこと」を再現できているかに注意を払っていると言えばわかりやすいだろうか。
たとえば、右オーバースローのピッチャーがいて、ボールを投げる右腕の振りが、いつもより横振り(サイドスローに近い投げ方)になっていたとしよう。いつも真上から腕を縦に振っているピッチャーが、急に横振りになるのだからコントロールは低下するし、当然、球威も衰える。
そのとき、投球フォームの再現性を意識して、「いつもと同じように腕を真上から振るようにしよう」とフォームを修正するのは危険だ。根本の解決に至らないどころか、かえって落とし穴にはまる可能性すらある。
単純に横振りを縦振りに修正しても、根本の原因を解決しなければ症状の改善にはつながらない。
「……では、もっと腕を縦に振ってみよう」「……いや、肩の開きが早いのかもしれない」などと、場当たり的に投球フォームをいじくり出すと、取り返しがつかなくなる。プロの世界にも、そんな「投球フォームの再現性」の落とし穴にはまってしまったピッチャーは何人もいるのではないだろうか?
僕ならまず、「なぜ横振りになったのか?」と考える。次に、その横振りになった原因の原因を考える。詳しい思考法はすでに紹介したとおりで、そうやって根本の原因にたどりつくまでチェックポイントを遡っていくのだ。
すると、じつは横振りの原因が「セットポジションのときにやや三塁側に重心がかかっていたから」ということすらあり得る。
だからこそ僕は、投球フォーム全体に再現性を求めるのではなく、チェックポイントごとの動作の再現性だけを考えるようにしている。ポイント以外の動作については、あくまでも結果として付随してくるものであり、そこにはこだわらなくてもいい。
考えてみてほしい。体調は日々変化し、体型も年々変わっていく。1試合のなかでさえ、イニングを重ねるごとに疲れが溜まってきたりするのだから、つねに同じコンディションで投げ続けられるわけはないのだ。
そんな状況下で、投球フォームの完璧な再現を貫くのは無理があるだろう。
何かうまくいくことがあったとき、僕たちは「そっくりそのまま同じこと」を再現しようとしてしまう。しかし、物事の表面だけをなぞっても、同じようにうまくいくことは少ないだろう。
大切なのは、「うまくいった!」だけで放置するのではなく、「うまくいった理由」をしっかりと分解し尽くすことだ。うまくいかなかったときには、どこでつまずいたのかをしっかり解明することだ。
そうするなかで、押さえるべきチェックポイントを発見していき、次回からは必ずそのポイントだけは再現するようにする。それ以外の要素は、コントロールしようとしない。これを積み重ねていけば、自ずと結果はついてくるはずだ。
福岡ソフトバンクホークス 投手(背番号21)
1981年2月21日、愛知県江南市出身。大学野球の選手だった父の影響で小学1年生から野球を始める。11歳のときに父の故郷・島根県へ転居。浜田高校時代は、エースとして2年生夏、3年生夏と甲子園大会に2回出場。3年生夏の大会はベスト8まで勝ち進んだ。
高校卒業後、早稲田大学へ進学。同級生のトレーナーとともに試行錯誤を重ね、フォームに磨きをかけたことで、最速127〜128km/hだった球速がわずか2カ月で140km/hを突破。2年生春から先発投手の座をつかむ。4年生時には、早大としては52年ぶりの春秋リーグ連覇達成に貢献。江川卓氏が保持していた六大学野球通算奪三振記録(443)を塗り替える476奪三振を記録した。卒業論文のテーマは「投球動作における下肢の筋電図解析」。
2002年、ドラフト自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(当時)へ入団し、1年目から先発ローテーション投手に定着。14勝をマークして満票で新人王を獲得した。また、その年の日本シリーズで第7戦に先発。プロ野球史上初めて、新人として同シリーズで完投し胴上げ投手になった。以降、5年連続で2桁勝利を達成。2004年アテネ五輪、2006年第1回WBC、2008年北京五輪に日本代表として出場。2009年はケガに悩まされたが、2010年に完全復調。17勝8敗、防御率3.14の成績を残し、最多勝利投手・MVP・ベストナインに輝くなど、ホークス7年ぶりのパ・リーグ制覇に貢献した。2011年には左腕史上最速となる通算200試合目での100勝を達成。
2011年オフ、海外FA権を行使し、MLBボルチモア・オリオールズへ移籍するも、1年目開幕直前に左肘の手術を受ける。2014年にシカゴ・カブスへ移籍し、同年7月に3年越しとなるメジャー初登板を果たす。シーズン4勝の活躍で日米野球のMLB代表に選出、日本のファンの前で凱旋登板を果たした。
2016年シーズンより再び福岡ソフトバンクホークスに所属。復帰1年目から最多勝・最高勝率のタイトルを獲得した。2018年シーズン開幕前の春季キャンプで左肩痛に襲われ、1年半にわたる治療・リハビリを経て、2019年シーズン途中から一軍に復帰。ホークスの日本シリーズV3を決めた第4戦で先発登板。勝利投手となり、完全復活を印象づけた。
いわゆる「松坂世代」の1人。プロ在籍した94人の同級生のうち、2020年2月時点でのNPB現役選手は自身を含めてわずか5名である。妻は元タレントの仲根かすみさん。一女の父。計算しつくされた投球フォームは、球の出所が見えにくいと評価されている。持ち球は、ストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシーム、カットボール。179cm 82kg。左投げ左打ち。血液型O型。著書に『だから僕は練習する――天才たちに近づくための挑戦』(ダイヤモンド社)がある。