「官製マスコミ」では
表には出ない悲劇も綴った

 1月から2月の下旬まで武漢は大変緊張した状況にあり、たくさんの人が感染しても病院に入れず、自宅で亡くなった。透析が必要な人など持病を持っている人が治療を受けられず、苦しみながら亡くなった。一家全員が感染し、全員死亡という悲惨なケースも少なくない。

 他にも下記のような悲劇がたくさん書かれていた。

「両親がともに施設に隔離されている間に、ダウン症の子どもが餓死した」

「1人の若い女の子が病院でなくなった母親と最後まで対面できなくて、遺体を乗せて走っている車を追いかけて『お母さん!』と泣きながら叫び続けた」

 などなど…。

 人々のやり場のない怒り、家族を失う悲しみや絶望など、これらは「官製マスコミ」では決して表には出ない。彼女は自身の知り合いにも、このような悲劇が起きたことを日記に綴った。

 一方で、悲しいことだけではなく、武漢の人々の生活ぶりも記録されている。

 例えば、2月29日の日記には、こう記述されている。

「外出ができないため、武漢人の日常的な食材などの買い物は、インターネットで買って、住宅(団地)の入り口まで届けてもらう。各家庭はプラスチックの桶(おけ)とひもを用意し、ひもを使って桶を地上まで下す。社区(町内会)のスタッフが食材を入れて、その家の人がひもを引いて桶を上げるのだ。最初は難しくて慣れなかったが、人と人が接触せずに済む良い方法だ」

文明国家であるかどうかの基準は
弱者に接する態度である

 武漢の市民の生活を支える地元政府関係者、警察、ボランティア、そして全国から支援に駆けつけた人々の、命を懸けての活動と辛労に対しても、感謝の気持ちを記述している。

「政府関係者、警察官、ボランティアの皆さん、感染されるリスクを負いながらも第一線で頑張っている。警察はパトカーで患者を病院に搬送している。救急車が足らないからだ。そして、彼らは、病院や隔離場所、各幹線道路で24時間の警備もしなければならないので多忙だ。そのため、多くの警察官が職務を遂行しているうちに感染してしまう。われわれを支える人々に感謝の気持ちでいっぱいだ」

 現在、新型コロナウイルスによる感染のピークが過ぎて、武漢の状況もだんだんと落ち着いてきた。そんな中、中国政府は「一連の強硬措置が奏功した」という“勝利”を誇り、中央集権の優位性をアピールしている。中国の各マスメディアは相次いで政府に同調し、「国の偉大さと功績」をたたえる報道一色となっている。

 そうした中でも、彼女は冷静に下記のように語っている。

「われわれの涙はまだ乾いていない。どうして武漢の人々がこのような羽目に陥ったのか、責任を追及しなければならない」

「このごろの武漢人は言葉の数が少なく疲弊しきっている様子であり、これから国が心理カウンセリングを行うべきだ」

 現在、筆者も夜中まで日記の更新を待ち続ける読者の一人となった(日本では時差のため夜中の1時過ぎとなる)。心に一番残る日記の一節を紹介して、この記事を終えたい。

「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」