非常事態宣言が首都一円を中心に発令されたケースとしては、最近では2010年4月と14年1月の2回がある。

 前者はタクシン元首相を支持するデモ隊が当時のアピシット政権(民主党)打倒を掲げて、バンコク中心部の商業施設などを襲撃・占拠したとき。

 後者は反対に、当時のインラック政権打倒を目的に反タクシン派が大規模なデモを展開したときだ。このとき、デモ隊は首都圏の主要な交差点を「バンコク・シャットダウン」と称して3週間にわたり完全封鎖。当時陸軍司令官だったプラユット氏らによる軍事クーデターの呼び水となった。

保険金欲しさに
コロナ感染する人も

 今回、政府が伝家の宝刀を抜くことになった背景には、いくつかの理由がある。

 最初に問題となったのが、3月6日に実施された格闘技競技場での集団感染だった。タイの伝統格闘技「ムエタイ」には、真の勇者を決めるスポーツイベントであるのみならず、政府公認の賭博であるため、国民の関心は高い。

 2月以降、コンサートやイベントなどが軒並み中止とされ、ストレスがたまっていたこともあり、数千人のファンがムエタイの競技場に押しかけた。「熱狂はいつもの倍以上だった。みんなが拳を上げ、大声を上げていた」と参加者した一人は証言する。

 当初、政府にはこれだけの観客が殺到するとの情報は入っていなかった。

 ところがふたを開ければ当日の全10試合とも常に満席の状態で、立ち見もでるほど。密閉された会場は熱気と汗と飛沫に包まれた。

 これにより、選手やトレーナー、司会者、主催者ら総勢128人が3月23日までに集団感染。その中には皮肉なことに、プラユット首相の出身母体である軍上層部の後輩たちの姿もあった。

 一方、バンコク市内のムエタイ競技場でのクラスター発生が確認されたころ、東部チョンブリ県バンセーンなどの臨海部でも、後に首相の怒りを買う濃厚接触が公然と展開されていた。

 3月22日早朝から飲食店や商業モールは一斉閉鎖され、多くの若者が行き場を失っていた。しかも、この日は晴天の日曜日。暇を持て余していた若者たちがこぞって目指したのは、海からの風が心地良い海岸沿いのビーチ(砂浜)だった。ビニール製のゴザを敷いて、持ち寄った酒や食事で乾杯する姿があちこちで始まった。

 会員制交流サイト(SNS)で事態を知った地元当局者が慌てて撤収を求めたが、誰も応じない。もはや為すすべもなかった。

東部チョンブリ県のバーンセンビーチで飲食に興じる若者ら
東部チョンブリ県のバーンセンビーチで飲食に興じる若者ら(タイのウェブ掲示板サヌックより)