新型コロナウイルスによる不況は、リーマンショックより扱いにくく、落ち込みも深刻だ。しかし、感染が収まったときには、不況は急速に回復するだろう。(塚崎公義)
リーマンショックは単純な不況だった
リーマンショックは、金融システムが傷み、金融仲介機能がまひし、それが実体経済に悪影響を与えて起きたものである。「過去に何度も経験している金融危機の少し大きなもの」であるから対応策はわかっていたし、何より思い切り対策を行えば良かった。
必要なのは、金融仲介機能を回復させることと落ち込んだ需要を回復させることであった。そのための対策として、思い切った金融緩和、金融機関に増資させて政府が引き受ける公的資金注入、減税や公共投資といった需要喚起策などが採用された。
過去に遭遇したものより大きな怪獣が現れたので、手持ちの武器を全部用いて全力で退治した、という感じである。
それと比べると、今回の新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)による不況はとても扱いにくいといえるだろう。「相手がウイルスなので、本気で戦うと人間が死んでしまう」からである。「医学的に、ウイルスを殺そうと強い薬を用いると、副作用で人間まで死んでしまいかねない」こともあるだろうが、ここでは「ウイルス封じ込めのために外出自粛をしすぎると、経済が死んでしまう」という意味で用いている。
政治家にとっては、つらい決断だと思う。自粛が足りずに大流行してしまうリスクもあるが、自粛しすぎて大不況になってしまうリスクもあるからだ。
もしかすると一部の政治家を誘惑しているのは、どちらが事後的に批判を受けないか、という保身の発想かもしれない。自粛が足りずに大流行してしまえば、絶対に批判されるが、自粛しすぎた場合は批判がかわせるかもしれないからだ。
自粛しすぎて経済が大不況になったとしても、「自粛しなければ大流行して大勢が死んでいたはずだ」と言えば、反論は来にくいだろう。だとすると、政治家が保身を図れば図るほど自粛要請は長引くのかもしれない。
現在は、欧米諸国が先に外出制限などを実行している状態なので、どの程度の自粛を行うと何が起きるのか、見当をつけることができる。それが、日本にとっては不幸中の幸いといえるのかもしれない。