昨年11月に刊行された『共感資本社会を生きる』は、既存の日本の社会システムに閉塞感や疑問を感じる人々から大きな反響を呼んだ。著者の新井和宏氏と高橋博之氏は、「お金」や「食」の観点から行き過ぎたグローバル資本主義に警鐘を鳴らしてきたが、今回のコロナショックで「いのち」と「経済合理性」を天秤にかけてきた副作用が待ったなしであぶりだされている。不確実性が高まる時代をこれからどう生きるか? 今回は『食べる通信』や株式会社ポケットマルシェを創業し、「関係人口」の提唱者でもある高橋博之氏が「食」と「いのち」と「共感資本」をキーワードに、コロナ時代を生きるヒントを語る。(取材・構成 高崎美智子/本取材は、4月15日に行われた)
自然界との「共存」を忘れた人間たち
――日本では、東日本大震災のあとも、熊本地震や台風、豪雨などの自然災害が相次いでいます。高橋さんは今回のコロナという新たな自然の脅威をどう受け止めていますか?
株式会社ポケットマルシェ代表取締役CEO/『東北食べる通信』創刊編集長
1974年、岩手県花巻市生まれ。岩手県議会議員を2期務め、2011年9月巨大防潮堤建設へ異を唱えて岩手県知事選に出馬するも次点で落選し、政界引退。2013年、NPO法人東北開墾を立ち上げ、世界初の食べ物付き情報誌『東北食べる通信』を創刊し、編集長に就任。2014年、一般社団法人「日本食べる通信リーグ」を創設し、同モデルを日本全国、台湾の50地域へ展開。2016年、生産者と消費者を直接つなぐスマホアプリ「ポケットマルシェ」を開始。「関係人口」の提唱者としても知られている。
9年前の東日本大震災の時には、海のそばに住んでいても、自然の存在を忘れかけている人たちがいました。しかし、津波はあっさりと防潮堤を乗り越えて、時間をかけて築いてきた近代文明を一瞬で飲みこんでしまった。僕たちは、圧倒的なパワーを持つ自然がすぐそばにあることを思い知らされたんです。
僕は今回も同じだと思っていて、都市という強固な城壁に囲まれた城を、新型コロナウイルスという自然が人間に便乗する形で乗り越えてやってきた。特に世界中の大都市や、人々が密集するエリアで感染が広がっています。そしてまだウイルスの正体もわからず、ワクチンも開発されていない。いつ、どこで感染するかわからない。そして死ぬかもしれない。みんな他人事じゃないから、「死」というものが身近になります。人生には締め切りがあると気づいたら、生命は光り輝いてくる。生と死の循環世界である自然との距離が近づくほど、やがて終わりがくる自然の一部としての自分を自覚し、人は「いのち」の尊さや、生きるリアリティを感じるのです。
コロナ後、AIやシンギュラリティという言葉を聞かなくなりました。あれほどテクノロジーの話題がWeb上にあふれていたのに、感染症対策は100年前とほとんど変わっていない。自然の猛威の前になすすべがない。AIの進化で多くの仕事がなくなり、自由な時間が増えると予想されていましたが、それが前倒して起きてしまった感じがします。あらためて「人間とは何なのか?」「生きるとは何なのか?」という根源的な問いを突きつけられている気がしますね。
たった1つのウイルスに今、人類は翻弄されているんですよ。それは僕たち人間のおごりに対する警告です。僕たちが自然に対して人為的にやってきたことは、必ず跳ね返ってきます。新興感染症や地球温暖化は、経済成長のために世界中で森林伐採や乱開発し、生物多様性をかく乱してきたことの裏返し。未知のウイルスは、森の中の野生動物から人に乗り移り、グローバル化で一気に世界中に拡散していく。ウイルスの唯一の目的は、自己増殖です。「新型」というから突然現れたように思うけど、ずっと前から条件が整うのを待っていた。その条件をつくったのも人間ですからね。
僕たちの腸のなかには、約1.5kgの細菌がいるそうです。すでにたくさんの菌やウイルスと共生していますし、進化するために彼らの力も利用してきた。そのことにも目を向けてほしいんですよね。つまり、ウイルスは自分で、自分もウイルスなのだと。そもそも自然界に人間の世界はこっち側で、ウイルスや異質なものは向こう側みたいな境界線はない。人間もウイルスも、動植物も共存している生きものだから。そういう「共同体感覚」を持つことが大切です。自然を支配したり、コントロールしたりすることができるという発想や境界線を手放して、人間中心主義を問い直さないといけないと思います。