経済を止めたら人が生きていけなくなるような社会って、いったい何なのか?

――人の移動が制限されることで、これほど日常生活のあり方が激変し、経済がダメージを受けるということをあらためて痛感しました。

 そもそも、経済を止めたら人が生きていけなくなるような社会って、いったい何なのでしょうか? コロナの前から社会的弱者を切り捨て、環境を破壊してきた社会にまた戻すの?と。みんなで助け合い、食べものも分かち合える社会ならば、救える命もありますよね。僕は経済が止まった瞬間に、あちこちで「ゆがみ」が出てしまう従来の社会システムこそ、問わなければならないと思います。経済が順調にまわっている時でも、日本の10代の子どもたちの自殺者数は、あれだけ多かったわけですから(編集部注:文部科学省の発表によると、2018年度は過去最多)

 今回、世界中の経済活動が公衆衛生の問題で止まり、その影響はリーマン・ショックよりも長引くといわれています。経済がいきなり止まったことで、貧困層を含めてさまざまなところに深刻なひずみも出ている。僕はこれで社会が何も変わらなかったら、ダメだと思います。せっかく経済活動が止まったならば、単に元に戻すのではなく、コロナ前の社会が抱えていた課題を解決する方向に進化させていきたい

「急ぎすぎた世界の過ち」をチャンスに変えられるか?

――これからめざすべき社会のあり方を考えるヒントをいただきました。ウイルスや自然との向きあい方も、人との向きあい方も、すべてつながっていますね。

 今後の動きとしては、ポケットマルシェを通じて、新しい社会の創造をしたい。生産者と消費者、都市と地方がつながり、お互いにないものを補って助け合う「連帯」する社会をめざします。東京や大阪、名古屋のような大都会に人が集中するのは、リスクが大きすぎる。今回のコロナで多くの都市住民もそのことを肌で感じていると思うんですよ。こんな時に田舎があったらなと。同じ外出自粛でも、田舎は畑や山や川もあるからいいけど、都会の狭い部屋にこもっていたらノイローゼになりかねない。だから、やっぱり2拠点ですよ。テレワークができれば、東京にいなくてもいいですから。都会と地方に2つの住民票を持って、行き来しながら暮らすことが災害時のリスクヘッジにもなります。

 社会が変わる時には産業の構造も転換していきます。コロナの影響で外国人の技能実習生を受け入れることができなくなって、地方の生産現場は今、人手不足です。フランスなど海外では、農業現場の深刻な人手不足をカバーするために、コロナで失業した人たちに農作業の支援を呼びかける動きもあります。食べものをつくる仕事は、「不要不急」の真逆ですからね

 僕たちは「緊急事態宣言」で一時的な行動変容を求められたけど、一時的な行動変容が1年続けば日常になります。みんな自分たちの暮らしのなかで折り合いをつけながら、耐性をつけていくと思うんですよね。意外とコロナ前よりも、今の暮らしや働き方のほうがいいじゃないか、と。今までとは違う生き方や価値観に魅了される人も出てくるんじゃないでしょうか。1年経てばそう変わると思いたいですね。自粛という言葉は我慢するという意味合いで使われていますが、むしろ自粛前の生活のほうが悪しき慣習や形式に我慢していたんじゃないかと。

 尾崎豊さんの『COOKIE』という歌のなかに、「急ぎすぎた世界の過ちを取り戻そう」というフレーズがあります。これまでグローバル資本主義のもとで、規格外のものを切り捨て、自然や地域との関係性を手放し、スピードや経済合理性ばかりを追い求めてきた日本が忘れてしまった大切なものは何か? 本当の「幸せ」とは何か? まさに、ひとりひとりが観客席からグラウンドに降りて、共感でつながる社会に変えていくチャンスだと思います。想定外のことが起きたら、経済合理性は弱い。コロナで、企業の計画はぜんぶ吹き飛んでいるでしょう。人生も世界もますます予測不能になる。そうなると、必然的に「いま」に視線を向けることになると思います。それが、想定外に強い生き方ではないでしょうか

(了)