「いい会社」への投資で利益を出す鎌倉投信の創業者にして、「共感資本社会」の実現を目指してeumoを起業した新井和宏氏と、『東北食べる通信』創刊編集長にしてポケットマルシェCEOの高橋博之氏。「お金」と「食」、「金融」と「一次産業」、異質なふたりがいま本当に伝えたいことを語り合った『共感資本社会を生きる』。刊行から約1ヵ月、反響が広がるなか、読書家にして実践・思索家の正木伸城氏から寄せられた、「お金」を切り口にした書評をご紹介しよう。

「貯められないお金」で人は幸せになれるのか?

「生きづらさ」の声がそこかしこから響いてくる。その要因はさまざまに言われているが、資本主義に原因を見る人も多い。カネをめぐる競争が苦を生む、と。しかし、そこから逃れられるかといえば難しいと思わざるを得ない。そもそも現行の経済システムに慣れた私たちにとって、別の経済の在り方を想像することは容易ではない。

それでも、資本主義を修正しようと別の選択肢を作る試みは幾ばくかの人によってなされている。株式会社eumo(ユーモ)代表・新井和宏さんもその一人。彼は、カネの定義を変える可能性を持つ電子地域通貨「eumo」の経済圏を試行中だ(2020年2月29日までの期間で実証実験を行っている)。その新井さんが先般、「食」や「農」を軸とするメディアの創設者・高橋博之さんとともに『共感資本社会を生きる』を出版した。資本主義やカネの問題、それらとの適切な関係の築き方――その内容は、「別の生き方も選べる社会」は実現できると確信させてくれるものだった。ここで私なりに解題したい。

資本主義社会の不都合な真実

 資本主義社会の競争は熾烈だ。カネをめぐって人が争い、敗者が置き去りにされる。「私が欲しいもの」は広告が教えてくれて、その「私」は刺激されるままに消費に走る。グルメガイドに促されて流行り物を頬ばり、増えた脂肪はメタボと指摘されダイエットで燃やす。「コレステロールは害」と喧伝されればサプリメントを口にし、老後が不安となれば保険に財を投じる。そんな欲望人を量産することが「是」とされるので、欲望を刺激するコンテンツが街にあふれる――。

 上記を「デフォルメしすぎだ」と感じる人もいると思う。だが、的外れと嗤(わら)うこともあながちできない。たとえば「儲かる」ストーリーには人が殺到するのに、社会的意義のあることが「儲からない」からとスルーされる現実がある。カネと欲望に突き動かされるさまは『共感資本社会を生きる』の中でも言及されていた(同書31ページ)

高橋 お金で測れないものは大事だって言いながら、お金で測れないものは切り捨ててきましたからね。
新井 そう。価値にならないって言ってね。

 のっけから資本主義を「悪」と言うようだけれど、もちろん資本主義は「必要とされて」進展した。人々がより自由にモノやサービスを欲求するようになった近代化・民主化の時代に、生産力を高める形で増大する需要に応えてきたのが資本主義である。その生産力向上を促進したのが、分業による効率化、技術革新、システムの圏域拡大、そして市場での競争である。競争も求められて増進された。

 だが、現在の競争は「過当」だとはいえないだろうか

 かのカール・マルクスが指摘したように、利潤をめぐる資本主義の競争・成長には「掠奪」がつきものだ。稼いだ人の陰で「奪われる人」が泣くのが常だし、そういった人々にやさしい富の配分がなされるならまだよいけれど、そうは問屋が卸さない。加えて、資本主義的な競争は生まれ持った資産や資質に左右される。フェアでもない。「金持ちはより金持ちに、貧乏は貧乏のままに」という格差が構造的に生まれると指摘したのが経済学者トマ・ピケティだった。

「あらかじめ持てる者」が圧倒的に有利なレース。その先に、世界の富裕層26人と貧困層38億人の資産が同額という現況がある。

 これは正直、異常と思う。冒頭のデフォルメは、決して誇張ではない。

 新井さんは、そこにオルタナティブを設けた。「こんな社会はゴメンだ」と思った時に移れる別の経済圏を作ろうとしている。資本主義的な課題、もっと言えば「カネ」がはらむ課題からの「乗り越え」を意図したものだ。