「地域共生社会」の名の下に
粛々と後退する国家責任
現在開催中の国会で、福祉に関する2つの法案群が審議されている。閣議決定された社会福祉法等の改正案「地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律案」(以下、政府社会福祉法案)と、野党が提出した障害福祉に関する法案(以下、障害福祉3法案)だ。
政府の社会福祉法案は、5月26日に衆院本会議で可決されており、今国会で成立すると見られている。一方、野党の障害福祉3法案は、いまだ衆院厚労委員会での審議も開始されておらず、今国会の期限切れとともに廃案となる可能性もある。
今年2月以来、新型コロナ禍のもと、厚労省社会・援護局の柔軟かつ人道的な対応が目立つ。「自粛」や緊急事態宣言によって、生活保護その他の社会保障が必要になった人々は多数いる。もともと生活保護で暮らしていた世帯の暮らしも、厳しくなる一方だ。社会・援護局は各福祉事務所に対し、まずは救済し心身と生活の支援を優先する方針を、多数の事務連絡で示している。
しかし政府や厚労省は、2000年以来の「自己責任」路線を転換したわけではない。国家責任を後退させる方向性、公共部門を私企業に担わせる方向性、福祉と社会保障を縮小する方向性は、依然として維持されていると見るのが自然である。
政府が「地域共生社会」という用語を使用する場合、「国はカネを出すのをやめる。クチは出すかもしれないが」というニュアンスを読み取る必要がある。そして政府社会福祉法案には、厚労省の老健局や保健局とともに、生活保護や生活困窮者自立支援制度で「グッジョブ」が目立つ社会・援護局も関係している。
多くの人々が、新型コロナの感染者数やPCR検査に気を取られている間にも、巨大な地殻変動が続いている。せめて、巨大地震の予知と同程度には注意を向けたいものであるが、実のところ、それは筆者自身にとっても容易ではない課題だ。